チーズを美しく美味くする? チーズ洗練士って何?[後編]【ビギニン#52】
20代をサラリーマンとして過ごした宮本さん。ひょんなことからナチュラルチーズにハマり、和歌山県初となるチーズプロフェッショナルの認定資格を取得します。チーズの普及活動をするなかで知り合った酒蔵「中野BC」の依頼がキッカケで、脱サラし、和歌山県初となるナチュラルチーズ専門店のオープンを決意。オリジナルチーズの第一弾として”梅酒に合うチーズ”に取り掛かります。
今回のビギニン
コパン・ドゥ・フロマージュ 宮本喜臣さん
1973年、和歌山県紀の川市に生まれる。ナチュラルチーズに魅了され独学で勉強を始め、2008年、和歌山県で初となるチーズプロフェッショナル協会の認定資格を取得し、翌年から和歌山の特産品で風味付けしたオリジナルチーズの開発をスタート。2012年北イタリア随一のチーズ洗練士・ハンシ氏に師事。2014年に地元・和歌山県紀の川市にナチュラルチーズ専門店「コパン・ドゥ・フロマージュ」を開業する。3児の父で趣味はゴルフ。
Struggle:
独立を決意。オリジナルチーズを手に、いざ北イタリアへ
和歌山県海南市の酒蔵「中野BC」から梅酒をヨーロッパで販売するにあたり、それに合うチーズを紹介して欲しいと依頼を受けた宮本さん。リファイニングと呼ばれる風味付けの手法を研究し、和歌山の食材を使ったチーズ作りに取り掛かります。
「中野さんからお話をいただいたすぐ後、洗練士のハンシさんに連絡して、試食の約束を取り付けました。私の計画は、梅酒に合うチーズを8種類ほど作って、イタリアで暮らす友人に通訳を頼み、ハンシさんの工房があるボルツァーノへ持って行くつもりでした。ヨーロッパでの梅酒の販売イベント前に自分のチーズが本場でどこまで受け入れられるのかを知りたかったんです。それを中野社長に伝えたところ『ぼくも一緒に行くわ』と言われまして。絶対に手ぶらでは帰って来られないプレッシャーを感じながら、妻にもテイスティングをしてもらいながら試作を重ねました」
自己流で様々なリファイニングを試みた宮本さん。頼りにしたのは自身の味覚でした。
「チーズ作りは、食材を頭の中で組み合わせ、風味をイメージすることから始めます。そのルーツを思い返すと、母親ができるだけ手料理を食べさせてくれたことや、あとは兄の存在も大きかったです。5歳年上だったんですが、私が小学校4〜5年の頃、遊びで机の上にカップを並べて、普通の牛乳・加工乳・低温殺菌牛乳を当てるブラインドテストをされたんです。漫画『美味しんぼ』が好きでね。他にも純米酒と醸造酒の違いを教えてくれたり。遊びながら培った感覚が生きているように思います」
トライアル&エラーを繰り返し、納得できるオリジナルチーズ8種を生み出した宮本さんはいざイタリアへ向かいます。
「ハンシさんにお会いしたら『あ、本当に来たんや』みたいな雰囲気で。味見はしてくれたんですが首を振られて。7つ目で仕事があるからもういいかなという感じになりました。やはりプロが納得するレベルには達していなかった。目の前が暗くなりました。でも最後に残ったのは1番の自信作だったんです。日本産ブルーチーズに和歌山の梅酒を浸透させ表面に砕いた梅の実を付けたもので、口に入れるとハンシさんは笑いました。良かったのか、もう終わりという意味なのか、推し量れないでいるとハンシさんは立ち上がり、奥から何かを持って来てテーブルに置きました。『これが俺のチーズだ』と。私が恐る恐る食べると『それで俺は何を手伝ったらいい?」って言ったんです」
ハンシさんから名刺代わりのチーズを差し出され、洗練士として認められた宮本さんは、自らチーズの完成度を上げるためにどうすればよいかをハンシさんに相談します。
「色んなチーズを見せてもらった後、私が作ったチーズのイメージを伝えました。ハンシさんのチーズからベースとなるブルーチーズを選び、持参した梅酒と和歌山産のニッキの葉を渡しました」
宮本さんの和歌山産リファイニングチーズを、ハンシさんがブラッシュアップしてくれることになったのです。
「日本に帰り、しばらくしてハンシさんから試作チーズが届いたんです。でも美味しくなかった。封を開けたら腐敗臭がして。調べたら発送業者が戸外に置いていたようで。梅酒やアルコールで風味づけしたチーズは温度変化に敏感で夏場は少し陽射しを受けただけで、たちまち劣化します。私のアイデアがデリケート過ぎたんですね。それで、このやり方は無理だと。ハンシさんに状況を伝え、輸送のストレスでも変化しない一次加工のみをお願いしました。それをイタリアから送ってもらい、二次加工〜フィニッシュは私が行う。そうやってハンシさんが美味しいと認めてもらえるものができたんです」
完成したチーズは、ハンシさんと会った2年後の2014年、イタリア・トリノで開催された食の祭典「サローネ・デル・グスト」で梅酒と一緒に販売。大好評を博し宮本さんは見事ミッションを達成します。
Reach:
次なる目標
共同開発を経て宮本さんを一人前のチーズ洗練士として認めたハンシさんは特別に認定書を発行します。
「イタリアでは洗練士をするにあたって証明書は必要ないんですが『これがあったら日本で文句言う人はいないだろう』ということで特別に作ってもらいました」
イタリアから帰国し宮本さんは念願だった自身の店を和歌山にオープン。名前はこの道に入るきっかけとなったワイン会から取られました。
「フランス語で『コパン・ドゥ・ヴァン』=ワイン仲間という集まりだったんですが、妻がその言葉をすごく気に入り、ワイン(=ヴァン)をチーズ(=フロマージュ)にして『コパン・ドゥ・フロマージュ』という名前を考えてくれました。私たちがワイン会で経験したように、チーズを通じ友人が増えていく、そんな場所になればという思いですね」
住宅地にポツンとオープンしたコパン・ドゥ・フロマージュは、2024年に10周年を迎え日々オリジナル商品を生み出しています。
「ハンシさんは色んなことを教えてくれて、今もその基準をアレンジする感覚で開発を行っています」
リファイニングはチーズを漬け込み浸透させるものもあれば、樽の中で匂いを吸着させたり、上から素材をふりかけたりと様々な手法を組み合わせて行われます。
「そのままで美味しいものは基本的に加工しないのですが『パルミジャーノ燻製 赤山椒風味』という商品は、ベースのパルミジャーノレジャーノというチーズが高価なので、少量でもインパクトあるものにしたいと考えて開発しました。取引先の飲食店がテレビにご出演された際、お好み焼きにかける和テイストのものを作って欲しいと言われたのがきっかけで、番組内で終わるつもりだったんですが、視聴者の方から食べたいという声があり、お店で販売したところ、おかげさまで人気商品になっています」
和歌山の食材をテーマにする宮本さん。最近は紀の川市の特産品である柿を使ったチーズ作りに取り組んでいます。
「和歌山は柿の生産が日本一で、良いものはそのまま販売され、B品は干し柿やジャムといった加工品になります。それを活用できないかと相談されまして。柿は和菓子の原点と言われます。個人的に極めたい素材だし、自分なりの表現ができるのではないか──浮かんだのがボンボンショコラでした」
そうして誕生したのがフロマージュトリュフです。紀の川市にある紀北農芸高校の生徒さんが作ったあんぽ柿に、イェトストという山羊の乳から作られたチーズ、さくらんぼのリキュール・キルシュ、アロマが強いベトナム産のカカオバターを合わせたハーモニーは絶妙で、素材の風味が口内で鮮やかに広がり、チーズというよりはスイーツのようです。
「実はチーズ作りはケーキを参考にすることが多くて。食べると幸せな気分になるじゃないですか? それが自分の原点なんです。技術的な部分でも、内部の構造や、食べ始める部分によって味がどう変わるか、あとはリキュールのセンス、そういう部分を取り入れています。妻とケーキを食べに行くとよく眉間のシワを注意されるんですが、個人的には自分が作ったチーズを食べる人には目をつむって欲しいんです。思わず瞳を閉じて何が入ってるか探ってしまう、そんなものが作りたいんです」
宮本さんの次なる目標は、柿のフロマージュトリュフをパリで開催されるチョコレートの見本市「サロン・デュ・ショコラ」に持っていくことだと言います。
「サロン・デュ・ショコラを通じ、向こうであんぽ柿の販路を開拓したいんです。フランスではデーツというナツメヤシがスイーツに使われていますが、私は柿の方がエレガントで美味しいと思う。そういう楽しみ方は日本人から発信しないとわかってもらえないので、これから広めていきたいですね」
和歌山の住宅街から静かな湖面に波紋を描くようにチーズの輪をどこまでも広がっていく。その中心には、好奇心旺盛で進取の気風を持つ日本で唯一のチーズ洗練士がいました。
日本で唯一のチーズ洗練士、宮本喜臣さんが手掛けるナチュラルチーズ専門店コパン・ドゥ・フロマージュ。ヨーロッパを中心とした輸入チーズのほか、地元・和歌山の食材を世界に発信したいという想いから、地元食材の風味を加えたオリジナルチーズも販売する。店頭では、チーズに詳しくなくても、宮本さんが好みに合わせたチーズを提案してくれる。ネットショップも人気。
(問)Copain de Fromage(コパン・ドゥ・フロマージュ)
https://www.copain-f.com
※表示価格は税込みです
写真/中島真美 文/森田哲徳