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時代のニーズや変化に応えた優れモノが日々誕生しています。心踊る進化を遂げたアイテムはどのようにして生み出されたのか?「ビギニン」は、そんな前代未聞の優れモノを”Beginした人”を訪ね、深層に迫る企画です。

近年、もんぺや袴など日本古来から伝わる作業着の快適性や利便性が再評価されています。さまざまな“和”ークパンツが市民権を得る時代、ビギンが注目したのは「たつけ」。岐阜県郡上市の石徹白(いとしろ)地区に根付く農作業用のズボンなのですが、初めて耳にするという方も多いのではないでしょうか。

今回のビギニンは、たつけを半世紀以上の眠りから蘇らせたお母さん。縄文時代の香りを色濃く残す秘境の地に移住し、服屋「石徹白洋品店」をオープン。限界集落の未来を想い歴史を守っていく、平野馨生里(ひらの かおり)さんにフォーカスします。

今回のビギニン


石徹白洋品店 平野馨生里さん

岐阜県岐阜市生まれ。大学時代は文化人類学を専攻。2011年に岐阜県郡上市白鳥町石徹白に移住。翌年5月「石徹白洋品店」を開業し、2017年には株式会社に。製品の企画とデザイン、染め作業から、展示会やワークショップの企画も行う。石徹白に住む長老の話をまとめた聞き書き本の製作など地域活動にも積極的に取り組む。

Idea:
神秘の土地“石徹白”に惹かれる

平野さんが石徹白に辿り着くスタートラインは、学生時代まで遡ります。国際協力に興味を持っていて、大学では文化人類学を専攻。毎年1ヶ月程度カンボジアの集落に訪れ、フィールドワークをしながら現地の人にインタビューを行っていました。

「染め織りをしている村でした。お婆さんに話を伺うと、その仕事にすごく誇りを持っていらして。自分の今までを振り返ると、そんな風に思えることがないなって気づいたんです」

「子どもたちが辺りを駆け回っていて、お母さんは糸を紡ぎながら彼らに微笑む。幸せな風景が広がる生活に、学生ながら憧れました」と続ける平野さん。平野さんの活動の原点は、カンボジアでのフィールドワークにあります。

「石徹白への移住を決めたのは、田舎暮らしがしたいというよりもベンチャー企業的な発想。たまたま訪れた集落が憧れた原風景そのもので、未来につないでいくために、自分がやるべきことを見つけた。その結果、この土地に住むことにしたというイメージでしょうか」

石徹白は、富士山、立山と並び日本三名山に数えられる白山の麓にある集落です。石器土器の出土が報告されることから、縄文時代にはすでに人々の暮らしがありました。山岳信仰の一つ、白山信仰ゆかりの地とも知られており、集落全体には神聖な空気が流れています。

平野さんが初めて石徹白に来たのは2007年。故郷の魅力を顧みようと加入した岐阜のまちづくり団体のメンバーと、水力発電を計画するための候補地として訪れたのがきっかけでした。「地名も読めなかった」と平野さんも照れ笑い。

「自然が豊かとか歴史が深いっていうのはもちろんあるけれど、人が何よりも魅力。コミュニティがあって安心して暮らせるっていうのがすごく大きかったですね」

Trigger:
半世紀にわたり作られていなかった、たつけと出会う 

フィールドワークの一環として、学生時代から聞き書きという手法を使い、土地の魅力を書籍化してきた平野さん。石徹白には3年間通い、集落に住む長老たちと関係性を深めました。初めて訪れた日から4年後、2011年に遂に移住を果たします。

そして、そうした活動のなかで出会ったのがたつけ。集落に昔から伝わる日常着で、すべて村民によるハンドメイド。伝統的な盆踊り、石徹白民踊の舞台衣装としても使われており、平野さんは小学生や老人会の人が着用している姿を見ていました。

「そのときは、ただたつけのことを知っていただけ。その穿き心地や機能性について、はじめは興味を持っていませんでした」と、平野さん。たつけの真価に気づいたのは、当時80歳くらいの集落に住むおばあちゃん、石徹白小枝子(いとしろさえこ)さんが主催する展示を尊敬する森本喜久男さんと観たときでした。

森本喜久男さんとは、京友禅の元職人で、カンボジアの伝統工芸品、クメールシルクの技術の復活を目指して現地に移り住み、世界でも稀な織物の村を作り上げた人物。学生時代から彼のもとへ通い、その村でフィールドワークをさせてもらっていた平野さんの「師」ともいえる人です。

「地雷を除去するところから始めて、そこを耕して道を作り、家を建てて村を作る。そんな無謀にも思えることを森本さんはやってのけたんです。このおじさん大丈夫なのかな?なんて訝しんでいたんですが、通っているうちに本当にそのようになっていき驚きました。そして、森本さんとは日本に戻ってきてからも親交が続いて。彼に石徹白を紹介したときも、小枝子さんの展示を一緒に観にいきました」

そこには“昔の暮らし”を伝えていく目的で古道具などの展示がされていました。会場にはたつけも目立たない感じでハンギングされていて、平野さんはそれを見た森本さんから「これを作るべきだ」とアドバイスを受けたと言います。

「森本さんが、ペロッと裾を広げて股を見て、これはスゴいとおっしゃって。私はその会場に何度か足を運んでいましたが、自分ではたつけの魅力に気づけなかったんですね。でも、それをきっかけに小枝子さんのところに通って作り方を教えてもらい、たつけの構造を知ると本当にスゴかったんです」

石徹白で生まれ育った小枝子さんは、集落の生き字引のような存在。そのため、平野さんは聞き書きの取材のために小枝子さんのところへ通っていました。もちろん、たつけの製作もお手のもの。作り方はすべて頭の中にインプットされていて、作業も一寸の狂いなし。

「小枝子さんの話では、私が作り方を教わりにいくまで50年くらいはたつけを作っていなかったようですが、そのわりに細かい寸法まですべてを覚えていらっしゃった。それに別の方を訪れたときも同じ状況だったんです。私はそれに従って縫うだけだったんですが、とにかく驚きました。だって、半世紀もたつけ作りから離れていたのに、何尺何分、とすべての製法をさらで覚えていられるってすごくないですか? 」

そもそも、たつけとは畑仕事で着用する作業着のこと。どこの土地が発祥で、いつから穿かれていたのかは判明していません。かつては日本中で親しまれ、集落ごとに独自の型地が受け継がれてきましたが、服が簡単に買えるようになると次第に作られなくなり、いつしか見かけなくなってしまいました。

たつけ的な効率のいいズボンは、その名は違えど日本全国に点在しています。東北のたっつけ袴や股引き、たちつけという形のズボンやモンペが仲間です。しかし、集落ごとに発展しているため、当然ながら細かいディテールやシルエットは異なっており、布の剥ぎ方や縫い方、裁断も違っています。なので、ジャンルは同じでもひとつとして同じデザインはありません。

「石徹白の皆さんにとっては、生活に密着していたたつけですが、あくまで作業用のズボンという感じで、なにも特別な存在じゃない。昔はきっと、誰でも作れるのが当たり前だったんです。でも、今はそうじゃない。むしろ、買った方が便利な時代になり、語り継ぐべき技術や文化が失われようとしている。それって、とても寂しい。途絶えさせてはいけないと感じて、私はたつけを現代風にアップデートして未来に伝えていこうと思いました」

移住民ならではの視点で、石徹白の魅力を発見した平野さん。たつけの素晴らしさと難しさに気がつけたのは、自身も洋服を作るデザイナーだったから。後編では、ミシンを踏めば壊してしまう“ミセス不器用”のたつけ復刻秘話に迫ります。

後編:一か所いじれば一か所飛び出る! パズルのような直線立ち に続く。

石徹白洋品店/たつけ
古くから石徹白で親しまれてきた農作業ズボン、たつけを現代風にアップデート。特徴的な直線断ち、直線縫いの製法をそのままに、シルエットを細身にアレンジ。藍染をはじめ、多様な草木染めに使用される原料は石徹白産が基本。コットン、リネン、デニム、ウールなど素材を変えて展開中。

(問)石徹白洋品店
https://itoshiro.org/

※表示価格は税込み


写真/平井俊作 文/妹尾龍都

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