時代のニーズや変化に応えた優れモノが日々誕生しています。心踊る進化を遂げたアイテムはどのようにして生み出されたのか?「ビギニン」は、そんな前代未聞の優れモノを”Beginした人”を訪ね、深層に迫る企画です。
まずは、さざなみドラムの響きをお聴きください。小サイズがメロディ、大サイズが伴奏です。
日本初の民間ロケット射場「スペースポート紀伊」が話題となっている和歌山県串本町は、太平洋に突き出た本州最南端の町。ダイビングやサーフィン、ホエールウォッチングのスポットとして知られます。宇宙と海が繋がるこの場所で、摩訶不思議な音色を放つ楽器「さざなみドラム」を製作しているのが本日のビギニンです。
今回のビギニン
長谷川敬祐さん
1988年12月31日、大阪府和泉市に生まれる。10歳でピアノ、17歳からヴァイオリンを習い、高校では吹奏楽部に所属。青山学院大学卒業後、お金を使わない自由な暮らしと、美しい海を求め、和歌山県の串本へ移住。YouTubeやブロクで暮らしぶりを発信する。2018年頃、twitterで知ったタングドラムの音色に魅了され製作を開始。研究改良を重ね「さざなみドラム」という名前で販売するとネットで話題に。ヴァイオリニスト葉加瀬太郎氏がアルバムの楽曲収録に使うなど高い評価を得る。趣味は夕暮れの景色を眺めること。
Idea:
東京の大学を卒業して和歌山の海でテント暮らし
一人暮らしに憧れ大阪から上京。青山学院大学へ進学した長谷川さんでしたが、就活やインターンを経験し、組織で働くのは自分には合わないと悟ります。一般的に就職しないとなったら、大学院へ進んだり、資格を取ったり、派遣やバイトで働いたりと選択肢は様々あります。しかし長谷川さんは卒業すると、愛車のバイクに荷物を積み込んで、東京を後にします。それは「海辺で暮らす」という子供時代からの夢を実現するためでした。
「就職って面接がありますよね。志望動機を書いたり、私は御社に向いています!ってアピールしたり、そういうのが無理だなと。正直、本当にそこで働きたいわけではないし、自分のような協調性がないタイプは会社に向いてない。それなら子供の頃から海が好きだったし、海の見える場所に住もうと思って、太平洋沿いをバイクで西へ向かったんです」
できるだけお金をかけず自由に生きたいと考えた長谷川さんは、家賃を抑えるためテント生活を決意。そうして、一週間ほど走り、現在はロケット発射場となった串本町の東端、荒船海岸へたどり着きます。それが今から約10年前のことでした。
「人けがなく近くには川も流れていてテント生活にぴったりの場所でした。魚を釣ったり、ヴァイオリンを弾いて海を眺めたり、そんな生活を4か月ぐらい楽しんだのですが、春になると野生のダニが現れ外で暮らせなくなってきたんです。そんなとき、地元の方からご厚意で家を紹介してもらい、住めることになりました」
長谷川さんが住む串本町は過疎化の影響で、空き家が余っており当初、家賃は無料だったといいます。それから2回引越して、今は海が見える高台の一軒家に暮らす長谷川さん。家賃は年間5万円だといいます。
長谷川さんの住居兼さざなみドラムの工房。
Trigger:
Twitterでタングドラムを知り自作を決意
サンダーを使ってスリットを入れているところ。
週に3~4回、介護や郵便配達のバイトをして生活費を稼ぎ、空いた時間は趣味のピアノを演奏、そんな田舎暮らしをYouTubeで配信し、興味を持った人が訪れ交友を広げたり…質素ながら充実した時間を過ごす長谷川さんに転機が訪れます。
「TwitterでRAV DRUM(ラブドラム)の演奏動画を見て、透き通るような音色と残響の長さにびっくりしたんです。この世にこんな楽器があるんだって」
RAV DRUMはロシアで生まれた鉄製の打楽器。中が空洞になっていて叩くと楽器全体が共鳴して発音します。音を生み出すU字型スリット(切れ込み)の形状が舌に似ていることから、タングドラムとも呼ばれます。
「タングドラムについて調べたところ、海外の方がYouTubeに自作動画をアップしていてたんです。僕は普段から住んでいる家も自分で直しています。お金をかけない暮らしをしていると、何でもDIYするようになるんですよ。当然、楽器もできるだろうって感じでタングドラムを作り始めました」
こちらは溶接用ガスですが、タングドラムの本体はこうした高圧ボンベの底が使われます。
タングドラムの発祥はドミニカ、アメリカなど諸説ありますが、ボンベに切れ込みを入れて叩いたのが始まりと言われています。それを見たアメリカ人がタングドラムの設計図を公開し、世界中にタングドラムメーカーが生まれたんだとか。
ボンベの底部分、上下2枚を溶接して本体が形成されます。
これを読んで自作しようという方は少ないかもしれませんが、簡単に説明すると、まず鉄製の圧力容器の底(底パーツとして流通しているそう)を適度な深さになるよう切り取り、上下2つのパーツを作ります。表面に打面部であるスリットの下書き、それに沿ってグラインダーで切り込みを入れたら、上下を溶接。サイドにはみ出たところ(バリ)を削り取って全体を研磨し、チューニング(調律)をしたら完成です。
ジグソーでサイドの曲面部分を微調整しているところ。
「鉄を切ったことがなかったので、どうやって加工するのかネットで調べることから始めました。曲面にジグソーで切り込みを入れるのが難しく、色々工具を買って合うものを探しましたね。溶接も同じような感じです。本当にちょっとしたことで音色が変わるから、奥が深いんです」
打面の切れ込みを入れた本体。U字型の内側にスリットがあるものが上面になります。
壁には切れ込みを入れるのに使う電動工具のジグソーやサンダーが掛けられています。
タングドラム作りに文字通り心血を注いだ長谷川さん、情熱の赴くまま創作に打ち込み満足のいくものを完成させます。
「ある程度のものが出来上がり、音を鳴らしたらすごく楽しくて楽器を持って少し旅に出たんです。泊めてもらったところで演奏していたところ『良い音だから売ってみれば?』と言ってくれる人がいて。自分で楽しむものから、楽器として販売するにはどのくらいのレベルが必要なんだろうと考えるようになりました」
楽器として売り物になるもの、新たな目標を見つけた長谷川さんは、タングドラムのブラッシュアップを開始します。
後編:楽器としての完成度を追求。すると…… に続く
(問)さざなみ Steel Tongue Drum -Sazanami-
https://sazanamidrum.com/order#order
※表示価格は税込みです
写真/中島真美 文/森田哲徳