モノ知り用語集
ガラッと印象を左右する柄モノを、巧みに取り入れてこそファッション上級者。神話や草花をモチーフにしたものから、誤射の防止や戦場でのカモフラージュまで出自は十人十色ですが、いずれも深〜い物語があるのです。
日本とロシアにまたがる北方先住民族であるアイヌ。縄文の古くから北海道に定住するアイヌたちによって育まれたのが、渦巻き紋様や括弧紋様。その民族柄は祖母から母へ、そしてその娘へと伝わり少しずつ広まっていった。特徴は、すべての紋様がプリントや染めではなく、刺繍をはじめ「切伏せ(別布を張り合わせて模様を作る)」や「切り抜き(布を切り抜いて模様を入れる)」といった、非常に手間のかかる手法がとられているところ。
米国の女性画家ジョージア・オキーフも愛した、ニューメキシコ州アビキューの日没を描いた柄。
アロハシャツの発祥は、1920~'30年代に日本や中国の仕立て屋が和柄のプリントシルクや浴衣生地を用い、オーダーを受けて作ったのがその始まりとする説が有力。そのためヴィンテージ品には和柄が多い。全盛期となる1950年代にはハイビスカス柄やサーフィン柄など、ハワイ独自の自然や風物をデザインしたものが現れる。
ネイティブアメリカンの部族の間で生命や魂を意味する、アローヘッドを組み合わせた幾何学模様。
アメリカ軍が1981年に開発した、もっとも有名なカモ柄のひとつ。その名の通り、森林での着用を想定して開発されたパターンで、その色柄は世界各国の植生を徹底的に分析した結果導き出されたもの。そのため、ヨーロッパからアジアに至る広い地域で高い擬装効果を発揮した。
別名ピクセルカモとも呼ばれ、2001年にアメリカ海兵隊に採用された。その後、ACU(American Combat Uniform)迷彩へと進化。タン(砂漠)、グレー(都市)、セージグリーン(平原や山間地)の3系統があり、コンピュータによるデジタル迷彩は従来の「背景に溶け込む」というより「印象に残りにくい」という性質を持つ。何千、何万という風景の色彩パターンを解析。砂漠、都市部、森林など幅広い地形に対応する。
カナダ、バンクーバーにあるカウチン湖畔に住む先住民のセイリッシ族によって作り出されたカウチンニット。その基本となるモチーフはホークサンダーバード、それにカリブーなどの自然崇拝から成立した神話に出てくる動物がメイン。その他メープルやスノークリスタルを幾何学調にアレンジした柄も多い。ちなみにカウチンとは、当部族の言葉で「日の当たる暖かい土地」を意味する。
本社で発見され商品化された、ユタ州キャニオンランズ国立公園の荘厳な景観を反映したとされる柄。
トルコを中心とした中東世界において、遊牧民や牧畜民の生活様式から生まれた伝承の紋様を織り込んだ毛織物をキリムと呼ぶ。キリムとはトルコ語で「平織り」を意味し、婚礼用や寺社への供物としてなど、財産としての価値も持つ。伝統的なモチーフは生命の樹、眼、星、羊の角など。中東地域の主要宗教であるイスラム教による偶像禁止の発想から、現在は幾何学的にアレンジされた柄が主流。
白と別の1色との2色で構成された格子柄。縦と横の線が全て同じ太さで、かつ一定間隔で描かれているのが特徴。名称の由来は、マレー語の縞模様を意味する「Genggnag」や、インド原産の糸染め平織り物をフランスの地名の「Guingamp」で初めて生産したから、など諸説ある。
千鳥格子と小さな格子柄を組み合わせ、全体として大きな格子柄を作っているもの。19世紀初頭の英国で考案されたといわれている。トラッド柄の代表。
メキシコの先住民テアンテペック族のアートに着想を得た柄で、ナワトル語で「コヨーテの地」の意。
湾岸戦争で配備された6色デザートパターンだったが、兵士たちからは、「砂漠ではチョコチップ部分が思いのほか目立つ」との声が。そんな欠点を解消すべく1990年、改良されたのがこの3色のデザートパターン。その色合いから「コーヒーステイン(コーヒーをこぼした際のシミ)」と呼ばれる。
1860年代にメリノウールを使って発達した、ナバホ族のブランケットにインスパイアされた柄。
縦横同じ幅の小さな格子柄で、ブロックの中には右上がりの斜線入り。スコットランドの羊飼い(シェパード)がこの柄を最初に用いたことからこの名が。
メキシコの祝祭「死者の日」に飾るシュガースカルがモチーフ。
ネイティブアメリカンに伝わる伝統の幾何学模様がコレ。ペンドルトンでもメジャーな柄の一つだ。
日本では「ストライプ」は「縦縞」、「ボーダー」は「横縞」と理解されるが、原義では「縞模様」の総称。旧約聖書のある解釈から、中世ヨーロッパでは縞模様は「悪魔の象徴」とみなされていたため、かつては囚人や農奴、ピエロなど社会的地位の低い人に着用された。が、アメリカ独立やフランス革命で印象がガラッと変化。「軽蔑」から「革命」のシンボルとなった。その後は海に落ちても目立ちやすいという特徴から、水兵の制服としても採用されたが、オシャレとして認識されたのは、1920年代に米国人画家ジェラルド・マーフィーが着用するようになってから。文化人きっての洒落者である彼に影響され、友人のピカソやヘミングウェイも愛用することとなった。
1931年にドイツ軍が開発したスプリンターパターンこそが、世界で初めて個人装備品として制式採用された迷彩パターン(艦船やテント、銃器のカバーを除く)。ドイツの森の風景や色を分析してデザインされた柄で、当初は兵士たちのテント兼ポンチョに採用された。
1700年代に米国南東部セミノール、スワニー川近くに住んでいた部族の女性が作り上げたパターン。
メキシコの伝統生産物の一つであるセラペは、18世紀頃にポンチョやストールのような形態で始まった。柄はストライプが一般的とされ、シンプルな3 色使いのものから虹色のように鮮やかな多色使いのものまで、生産される地域によってデザインは異なる。1810年~の独立戦争時には自由の象徴となったセラペだが、昨今はマットや敷物、ベッドカバーとして世界中へ輸出されている。
誕生は1959年、もともと南ベトナム軍の海兵隊が採用していたパターンだ。ベトナム戦争当初、迷彩服を持たなかった米軍の特殊部隊員が、このパターンを模した柄の迷彩服を現地で調達して着用していた。統一規格ではない柄のため、カラーや柄などさまざまなパターンが存在する。
スコットランドの高地で古くから用いられてきた多色使いの格子柄のこと。氏族がそれぞれ独自の模様を定めて飾章や紋章などに使っていたのが発祥。
英国艦隊に初めて採用された、一見派手な幾何学模様の迷彩塗装。迷彩本来の隠すという意より、距離感を惑わすための柄であり、砲撃妨害の意図があった。航空機の発達で効果が薄れ、減少していった。
1943年に初めて海兵隊に採用され、その翌年にアメリカ軍全体で使用され始めた迷彩柄。偽装効果は高かったものの、ドイツ軍の迷彩服に似ており、ノルマンディー上陸作戦の際にドイツ兵と誤認した味方から銃撃を受ける兵士が続出。そのため、早々と回収された。
チマヨは米国ニューメキシコ州サンタフェに近い静かな町。チュロと呼ばれる羊の毛で作る織物が特産品。主に使われる伝統柄は4パターンで、チマヨ柄はその一つ。なかでも8代続くオルテガ家が作る菱形や矢羽根形模様入りのラグやベストは日本でも有名。またオルテガから派生したセンチネラのチマヨ柄アイテムは、色使いも洗練されており、ラルフローレン別注品やNYの美術館への収蔵品にもなっている
ウールネルシャツなどで著名なアメリカのペンドルトン。そのブランドの象徴的柄となるのがチーフジョセフだ。19世紀末、米国とネイティブアメリカンの間で起こった激戦の後、永遠の不戦を誓った大酋長、チーフジョセフの英断を讚え、1877年にペンドルトンがこの柄をリリース。彼の強さを表現した4 方向に配された矢印が、この柄のポイント。現在ではブランケットやクッション、タオルなどのアイテムでこの柄が楽しめる。
ドイツ軍は実戦でのカモ柄の効果を高く評価、新たなカモ柄開発に力を注いだ。結果1937年、第二次世界大戦が勃発する2年前にドイツ軍親衛隊が新たなカモ柄を完成。最初はポンチョのみだったが、後にスモックにも採用され、世界の軍隊で初めての本格迷彩服が誕生した。
かつて米国アリゾナ州からニューメキシコ州にかけて、一大勢力を築いたナバホ族。先取の才に富み、17世紀にはスペイン人が持ち込んだ羊の放牧を取り入れ、そこからラグを作り出している。当初は直線だけのシンプルだった柄も、時を経てスペイン系の織物からの影響を受け、ダイヤモンドやクロス、ジグザグ柄を入れ込むように発展。1800年代後期には現代にも馴染みのある複雑な、ナバホ特有の幾何学柄が完成。工芸的かつ芸術性の高い嗜好品として世界に広まっていった。
ネイティブアメリカンにとって非常に重要な、信頼できる目印とされる北極星をイメージした柄。
山門部などのフィールドで働く労働者のために生まれた、赤と黒の極太チェック。しばしば見かける代表的なチェック柄だが、なぜここまで派手なカラーリングが採用されているのか。それは鹿と間違えられてハンターに誤射されるのを防ぐためだ。実は鹿は色盲で、人間にとって目立つ柄も、濃淡のレベルしか識別できないと言われている。ハンターも労働者も幸せな、先人の知恵の賜物だ。
18世紀頃から作られるようになったバティック生地。ろうけつ染めの一種で、柄は緻密な動植物モチーフが伝統的。多様なスタイルが生まれ、ヒンズーや仏教文化の影響が強い中部ジャワ様式(ソロ・バティック)のほか、イスラムや欧州の影響が見られるジャワ北岸様式(チルボン、ラムス、プカロンガンなどのバティック)が代表的なものとして挙げられる。
第二次世界大戦中もっともカモ柄に熱心だったのはドイツ軍。1944年には、当時評価の高かった、このエンドウ豆を散らしたような柄を開発。この柄は大戦末期に採用された野戦服M-44にも採用され、のちのドイツ軍が採用するリフレクター迷彩のルーツともなった。
フェアアイルニットは英国、シェトランド諸島にあるフェア島に伝わるニット。用いられる柄は16世紀末にフェア島沖で難破したスペイン艦隊員が着ていたニットの模様から発想されたとの説がある。雪の結晶や草花なをモチーフにした幾何学柄を水平に組み合わせたパターンが最大の特徴。そのフェア島では日照時間が一年に約60日ほど。丈の低い植物しか育たないような厳しい環境こそ、この柄誕生の背景といわれる。
第二次世界大戦が勃発すると、英国軍も空挺団専用の迷彩服の支給を1944年に開始した。その柄は通称・ブラッシュパターンと呼ばれるもので、その名の通り、ブラシを使って描いたかのようなラフなイメージが特徴。どこかアートな薫が漂う柄で、今なお人気が高いカモ柄。
1943年誕生のダックハンター以降、迷彩柄を封印していたアメリカ軍だったが、ベトナムでのジャングル戦における必要性に迫られ、第二次世界大戦後初のカモ柄を登場させた。ただ、当初は生産量が少なかったため、長距離偵察小隊や特殊部隊員に優先的に支給された。
近い将来、中東での戦闘を予想していたアメリカ軍は砂漠地域に対応するカモ柄の開発に着手。1985年に開発に成功した。このカモ柄は1991年の湾岸戦争において初めて実戦配備された。黒い部分がチョコに見えることから、通称・チョコチップとも呼ばれている。