ずっと昔からあるけれど、当たり前すぎてイチイチ細かいことまで覚えてない&分かってない。定番ブランドの名作というのは、そんな幼馴染みのような存在です。意外や知ってみると面白い話もあったりして、また欲しくなったり。そう、これは定番ブランドのちょっとした魅力を3分で再発見する連載です! 第一回は普遍の傑作スニーカー、コンバース オールスター。じつはレインシューズが先祖って知ってた?
名作の「ヒト」
マーキス・M・コンバース
ゴム加工の達人だからスニーカーを作れた
米国の自動車メーカー、フォードがアメリカ初の量産車である「T型」の生産した1908年にマーキス・M・コンバースはコンバース社をスタート。タイヤに使われるゴムの需要が飛躍的に高まっていく時代でした。じつは、創業者であるマーキスはもともとゴム加工会社でマネージャーを務めており、創業当時はコンバースタイヤなどゴム加工業も主流だったんだとか。スニーカーを量産できた背景には、こうした歴史があったのです。
名作の「コト」
スニーカーの原型はレインシューズだった?
ニューイングランド地方の乾季に生まれた靴
じつは、当時の社名は「コンバース・ラバー・シュー・カンパニー」。もともと、タイヤ生産と同じく力を入れていたのがラバーシューズ(雨靴)の生産だったのです。防水性が高く、濡れた地面でもすべりにくいラバーシューズはたちまち評判になりました。創業から2年後の1910年には350人の従業員により、日産4000足に達したのだとか。が、ここで問題が!雨靴が売れるのは雨季が中心。当然、閑散期でも工場は稼動しており、一年を通じて安定して生産&販売可能な商品の開発に迫られたワケ。その答えが、1917年に「ビッグC」と呼ばれるコンバース最古のライン。アッパーのベースカラーによってモデル名が変わり、白ベースが「NON-SKID」、茶ベースのものが「ALL STAR」と当時区別されていたのです。
名作の「ヒト」
チャック・テイラー
大学のスター選手がスニーカーブームを作った
コンバースオールスターといえば、チャック・テイラー。コンバース好きのなかには、オールスターをあえてチャック・テイラーと呼ぶ人も多いのですが、実際ナニ?てか人? ってくらいの認識だと思います。分かります。じつはバスケットボールの花形選手であり、引退後はコンバース社で就業し、バスケットボールとオールスターの普及に貢献した人物なのです。なかなか気がつきませんが、くるぶしのスターマークの中心に筆記体で入っているのが彼のサイン。これはコンバースが彼の功績を称えて、1946年頃に入れるようになったのです。
名作の「コト」
コンバース オールスター
今も昔も変わらないモノつくり
現在のオールスターの基本形は1962年に完成しました。なんと、以来基本設計は今日まで大きく変わっていないのです。ところが、その歴史に大きな危機が一度ありました。それは2001年にノースカロライナ米国工場が閉鎖されたときのこと。オールスターの生産の歴史も途絶えそうなところを、米国と同様のメーカーの機器、ゴムの配合レシピ、靴の命ともいえるラスト(木型)までも忠実にインドネシアの拠点へと移行したのです。また少々マニアックな話ですが、フォクシングテープの巻き方といった、機器だけでなく人的技術のレシピも守っているというコダワリよう。これによって、今も当時と同様のオールスターをグッドプライスで履くことができるのです。