特集・連載
DENIM MASTER GUIDE #03
戦後、ジーンズは時代(カリスマ)のアイコンになった。
デニムマスターポケットガイド 「セルビッジ」「66シルエット」「XX」……ときどき目にするジーンズ用語。「なんとなく」でしか知らない方も多いでしょう。じつは何気ないディテールワードだって大事な意味が隠されているんです。そこでジーンズの歴史と用語を簡単に解説&おさらい! 平成最後に胸にジーンと響く♪デニム特集です。 この記事は特集・連載「デニムマスターポケットガイド」#03です。
戦後、映画界にカリスマに満ちた新しいスターが登場します。不良役を演じる彼らが穿いたのはジーンズ。ここから年代を追うごとに、ジーンズは時代のアイコンたちに愛用されるように。いよいよ仕事道具から、今日のファッションアイテムになっていきます。
Movie Starとジーンズ
若者のジーンズ人気の火つけ役となったのが、マーロン・ブランドとジェームズ・ディーン。前者は501に革ジャンを着てバイクで暴れ回り、後者はリー・ライダースをクールに穿きこなして社会に反発。若者の衝動、反骨心に共感を生み、ジーンズがこぞって穿かれるようになります(大人は反対してた)。
またマリリン・モンローもジーンズを穿き、女性にもファッションとしてのジーンズが浸透していきました。
マーロン・ブランド
『乱暴者』で暴走族のリーダーを演じ、新しいタイプのスターとして脚光を浴びる。ジェームズ・ディーンとともに、ジーンズと並んでオシャレ着ではなかった白のTシャツを着用。こちらもファッション化の祖となった。
ジェームズ・ディーン
戦後の米国を代表する、今なお語り継がれる俳優。映画『理由なき反抗』、『ジャイアンツ』で101ライダースを穿き、ドリズラージャケットもアイコンに。24歳の若さで亡くなったこともあり、青春を象徴するスターとなった。
映画『理由なき反抗』DVDジャケット写真
Inteligenceとジーンズ
知的なアイコンもジーンズを愛用。例えば白洲次郎は稀代の洒落者として知られ、初めてジーンズを穿いた日本人でも有名です。
またアメトラの代名詞、アイビーリーグは1970年までブルージーンズの着用は禁止でした。ただ1959年にクリーンなリー・ウエスターナーが発売されると、アイビーリーガーに大ブームとなり、ホワイトジーンズが定番化したのです。
白洲次郎
戦後、連合国占領下の時代に吉田 茂の側近として働き、貿易庁長官としても活躍。スーツはサヴィル・ロウの老舗テーラーで仕立ててた。穿いていたジーンズは501XXといわれているが、リーと思われる着用写真も残っている。
アイビーリーガー
私立の名門8大学、アイビーリーグの学生。米国をリードする卒業生を多数輩出している。彼らが好んで着たアメトラスタイルは、アイビールックと呼ばれる。傑作青春映画「卒業」内で、ダスティン・ホフマン演じるコロンビア大学の学生もジーンズを着用した。
アイビーリーガーから愛されたホワイトデニム
オフホワイトのコットンサテンを使ったホワイトジーンズ。従来のワークテイストが薄まって、スマートで都会的な雰囲気があり、アイビーリーガーのスタイルにもマッチした。
Fashion Designerとジーンズ
ジーンズは世界的なファッションデザイナーをも虜にするアイテムになります。ワークと畑が異なるモードの帝王、イヴ・サンローランには「できたなら私がジーンズを発明したかった」、とまでいわしめました。
本国の御大、ラルフ・ローレンは大のウエスタン好き。フォーマルでも、タキシードにジーンズを合わせた姿がお馴染みです。
ラルフ・ローレン
アメトラ、プレッピースタイルの大御所として知られる、NY出身のファッションデザイナー。ウエスタンスタイルに魅せられ、コロラド州にRRL牧場を所有するほど。RRLブランドのジーンズは世界的な支持を誇る。
Artistとジーンズ
大衆文化のシンパシーか、ポップアートの巨匠、アンディ・ウォーホルは大のリーバイス好き。「ブルージーンズを穿いて死にたいな」といった言葉も残しているほどです。
今では当たり前のジャケット×ジーンズを着始めたのはウォーホルで、’70年代当時はとても斬新。フォーマルなパーティでジーンズを穿いたのも、彼が初めてといわれています。
アンディ・ウォーホル
’50~’80年代にかけて活躍したアーティスト。キャンベル・スープの缶詰やマリリン・モンローをモチーフにした作品で、ポップアートを確立。ファッションアイコンとしても知られ、BDシャツやローファーも愛用した。