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ハングリーであることを是としがちなヒップホップカルチャーに傾倒しながら、足るを知り、地に足をつけた等身大の姿勢を貫く大橋さん。それでも常に情熱と魅力を増し続ける彼の原動力の根源とは? 全10回に及んだ、“大人のストリート”にまつわる連載企画。東京の今を象徴する無二の個性の背後にあるストーリーと、その先で彼が叶えた夢の話とともに、完結といたします!

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「ニューヨークで伝統が成り立つのは大人が格好いいから

−−前半では街で暮らすうえでのマナーについて伺いましたけど、そうやって大人になってもストリートファッションや街での暮らしを楽しむために、他にも大人が心得ておくべきだと思うことがあったら教えてください。

大橋高歩さん(以下 大橋):やっぱり、許容することかなと思うんです。自分と違うスタイルとか、人を。それは自分と違う世代の人を許容することにもなると思うし。僕はずっとヒップホップが好きだって言ってるんですけど、「今、好きなラッパーは?」って言われたら、やっぱり若い子ばっかりが思い浮かぶんですよ。ヒップホップでは若さがひとつの正義だし、どんどん更新されていく素晴らしさがあると思うんで、やっぱりそこでファッションにしても若い子たちのことが理解できない時に「それは違う!」とか、「これとこれを合わせるのは間違ってる」とかってなっちゃうと、ただ単純に世界から孤立しちゃう。それもある意味、ドロップアウトと変わらないじゃないですか。自分はそういう話とかを聞くのがあんまり好きじゃなくて。そういう声を聞くと、そんなことばっかり考えてないで自分のことをやってればいいのに、と思っちゃいます。

−−ヒップホップのアーティストでも印象のフレッシュさと実年齢が必ずしも一致しないこともありますし、姿勢のニュートラルさとか、発想の自由度で大きく変わってくるんでしょうね。

大橋:自分はヒップホップにしてもカルチャーにしてもニューヨークのものが好きなんですけど、ニューヨークって新しいフレッシュなものがどんどん出てくる街なのに、めちゃくちゃ伝統的な場所だと思うんですよ。今はインターネットで新しい曲をどんどん出せるから、地方にいる人たちはそうやって新しいものを更新していってるけど、ニューヨークはヒップホップにも伝統芸みたいな側面があって、その伝統に縛られてる感じもするんです。だから、ニューヨークのヒップホップのアーティストが一番大変なんじゃないかと思うんですけど、それは洋服も同じで。ティンバーランドのこの靴、ニューエラのブルーのヤンキースのキャップとかって伝統があると思うんですけど、なんでその伝統が成り立つかって言ったら大人が格好いいから。大人が格好よくて、若い人たちがそれをリスペクトしてるから、「あの人たちの伝統を受け継ぎながら新しいことをやってやろう」って気になるというか。東京とかもそうなったらいいのかなと思うんです。自分が若い頃に見て、格好いいなと思ったような大人になりたいなって気持ちがずっとあります。だから“ニューエラをかぶってると若作り”みたいに感じちゃう人もいると思うんですけど、自分の中では全然成り立っていて。今41歳の自分らしい格好をしているつもりです。それを若い子たちが見てどう感じるのかな、とかっていうのを考えるのが面白いですね。

 

大橋さんがこの日着用していたニューエラはフロントパネルに芯が入らず、被りも少し浅めになったレトロクラウンと呼ばれるタイプのもの。そのスタイルに合わせて、ヤンキースロゴも旧時代のものを採用しているのが面白い。アンダーバイザーが褪せたようなグリーンになったこのモデルは、ニューヨークのあるショップの別注品。ジ・アパートメントでも展開したが、現在はすべて完売。

 

−−違う世代間でそういう関係性が築けたら素敵ですよね。大橋さんは実際にニューヨークのローカルとのコネクションも強いと思いますが、彼らから東京はどんなふうに見えていると感じますか?

大橋:ニューヨークの中でも特にファッションを引っ張ってる人たちから見ると、やっぱり東京でイメージするのは全盛期の裏原宿にいた人たちで、彼らがヒーローなんだと思います。その再評価はたぶん、ヴァージル(・アブロー)の影響がやっぱり大きくて。ヴァージルは自分より少し年下だと思うんですけど、そのくらいの世代で裏原の人たちに憧れてる人たちが世界ではファッションシーンのど真ん中にいるっていうことで、注目されてるんだと思います。

−−そういう海外の東京観については、さっきおっしゃっていたように特別何も思いませんか?

大橋:確かに自分はそれを追っかけてきた人間ではないし、当時は裏原宿に行っても(レコードショップの)ファットビーツとか、アメロゴ(セレクトショップのアメリカンロゴ)とか、それよりちょっと前だとブルースっていう並行の靴屋に行ったりしてたくらいでした。ファットビーツが渋谷に移ってからはもう原宿に行かなくなっちゃったし、原宿に行ってもその(裏原系の)お店にだけ行ってなかったというか、素通りしてしまっていたので自分はそのムーブメントについて語れることが何もないし、まったくわからない世界なんですけど、やっぱり東京の人たちじゃないですか。だから何て言うか、誇らしいなと思ってます。自分はアメリカのファションが好きで憧れて、それを日本に持ってくるみたいなスタンスで仕事をしてるんですけど、その人たちがそういう東京の先輩たちというか、あの年代の人たちをリスペクトしてるっていうのが自分の中ではすごく誇りになっていて。今だったら向こうのヤツらも結構自分のことを知ってくれていて、自分がまったくそっちのものを通ってないってわかってるんですけど、昔は向こうに行って、「どっから来たの?」って話になった時に「東京だよ」って答えると、やっぱり「東京はファッションがすごく格好いい。そこから来たのか!」みたいな認識になるので。今はたぶん、“ニューヨークのカルチャーがすごい好きな東京の変なヤツ”みたいな見方をみんなしてると思います(笑)。

 

シュプリームを格好いいとは思っても、自分が着るべきじゃないと思ってたんです

−−(笑)。でも、“裏原宿”っていう言葉通り小規模なエリアでのトピックが、時間が経って海の向こうにまで波及したのはすごいことですよね。昔、シュプリームが日本で支持され始めた時もニューヨークの人たちは似た気持ちだったのかも知れませんね。

大橋:そうかも知れないですね。それで言うと、当時の自分の中でシュプリームはスケートブランドのひとつっていう認識だったんですよ自分は遊びの一個として、みんなと遊ぶツールのひとつとしてスケートボードをしてた時期はあるんですけど、自分をスケーターだと思ったことはなくて。自分はそこの人間じゃないっていう意識がすごくあったから、シュプリームを格好いいとは思って見ていても、自分が着るべきじゃないと思ってたんですよ。それこそ(ア ベイシング )エイプとかもそうですし。そういう状態がずっと続いてたんですけど、5年前くらいから今までにないくらいシュプリームが盛り上がったじゃないですか? それで全身シュプリームを着てる人がいっぱい出てきたりして。で、その段階でもともと自分が着るべき服じゃなかったのが、自分が着ても違和感がないというか、誰が着てもおかしくない洋服になった気がして。それがどのブランドに一番近いかなと考えた時、自分の中ではラルフローレンだと思ったんです。オーセンティックな昔の洋服とかいろんなソースを引っ張ってきて、それを洋服、ライフスタイルとして出しているラルフローレンというブランドがあって、それの現代版だなって。昔はシュプリームの赤いロゴを見ると昔はスケートボードとかキッズとか、ああいうことを連想してたんですけど、今はあのロゴがトークン(コイン)だとかメトロカードとかと一緒で、ニューヨークのアイコンみたいに見えるようになりました。自分のニューヨークへの憧れだったりとか、ニューヨークが好きな気持ちだったりがあって、今は自分でもシュプリームの服を着るようになりましたね。

−−ご自身の趣味嗜好や考え方じゃなく、状況が変化してシュプリームが普遍的で身近な存在になったんですね。

大橋:そうですね。シュプリームに限らずですけど、「あのブランド、もういいよね」みたいに言う人っているじゃないですか? それこそ最近だと、ノースについて「ノース・フェイスがこれだけ流行りましたけど、次は何ですか?」とかっていう訊き方をインタビューでもされることがあるんですけど、ノース・フェイスって’90年代の終わり頃に一回、本当に終わっちゃうんじゃないんかなって思うくらい、人気が下火になった時代があるんですよ。みんな「ノース・フェイス、恥ずかしくてもう着れないよ」みたいに言っていて。でも、時間が経ってノース・フェイスがまた売れるようになって、またみんなが着るようになった時、そこでノース・フェイスっていうのは終わる・終わらないっていう概念とは別のブランドなんだなと思ったんです。チャンピオンやナイキだったり、リーバイスにラルフローレンだったり、自分の中でそういうブランドはいろいろあるんですけど、“このブランドは殿堂入り”ってなったら自分の中ではもう終わるもクソもないというか、別格になるんです。シュプリームも、そういうブランドになったのかなって。

 

ザ・ノース・フェイスのマウンテンジャケット。’90年代のアーカイブのディテールやシルエットを踏襲した、再現度の高い復刻モデル。ゴアテックスを採用した防水仕様で、内側にヌプシジャケットやデナリジャケットを装着できる“ZIZシステム”も、もちろん盛り込まれている。「レアカラーを探している人が多いと思うんですが、個人的には赤とか黄色のプライマリーカラーが結局一番格好いいと思ってます」(大橋)。

 

今はこの仕事だけで生活できてるし、家族も養えてる。
それが続いてることがストリートドリームだと思います

−−すごく夢のある話ですよね。でも、そういう意味では大橋さんも憧れていたニューヨークという街に受け入れられたり、ご自身でも確実にムーブメントを起こしてこられたわけですし、これまでを振り返ってストリートドリームが叶った実感があるんじゃないでしょうか?

大橋:どうですかね……。自分としては何かを成すことが、例えばこういう仕事をもらえることがストリートドリームだ、とかっていうふうにはあんまり思ってなくて。最初にこの店を始めた頃はお金がなくて、夜も働きに行ったりしてたのが、今はこの仕事だけで生活できてるし、家族も養えてる。それがずっと続いてることはストリートドリームだとすごく思います。好きな友達と一緒にいて好きな音楽を聴いて、それでニューエラをかぶっていて、みたいな。そういう生活をどれだけ長く続けていけるのかが大事だと思うんです。だから店を始めたくらいから、自分の中ではどこかゴールインしてたような感覚もあって。

−−ナズ(NAS=ニューヨーク・クイーンズ出身のヒップホップアーティスト)が言うような“時計がセイコーからロレックスに変わる”ことだけがストリートドリームではないってことですね。

大橋:はい。自分は今の仕事をやる前にちゃんと働いたことがなくて、もらった仕事を回して、みたいなことをずっとやって来たんですけど、それこそギリギリなことをやったりして、短期間で大金を稼ぐことってめちゃくちゃ簡単だと自分は思っちゃうんです。これは書けるかどうかわからないけど、それこそ今の僕らで言ったら、スタブリッジ(ジ・アパートメントのオリジナルブランド)がありがたいことにすごく売れるから、それを無限に作れば簡単にお金は作れると思います。でも、それをやることって自分にとっては何も意味がないんですよ。

−−目先の利益よりも大事なものがあるということですよね?

大橋:そう思ってます。“ブランド”というものについて考えた時、僕はお店もブランドだし、人もブランドだと思うんですけど、やっぱりブランドって時間をかけることでしか生まれないんですよ。だから、何をするにも一番大切なのは持続性だと思っていて。アパートメントも最初のうちはビジネスモデルとして成り立ってなかったので、3年くらいずっとお金が入らなかったんですけど、みんな大体そこで辞めちゃうじゃないですか? でも僕らはそれを辞めないで続けたから、ちょっとユニークな形で成立できたんだと思います。いろんなことに対しても同じだと自分は思っていて、短期的にぱっと面白いこととか、一瞬だけ人が喜ぶようなこととかって今はSNSの時代だし、なんでもできると思うんですよ。でもそういうものには自分は価値を感じられなくて。やっぱり続けることってすごく難しいし、そのためには情熱が絶対に必要だけど、そのぶん価値のあるものなのかなって思います。パッパッと何かを仕掛けていくよりも、大事なのは同じことをずっとやり続けること。自分はそういう人間になりたいんです。

−−すごく素敵な価値観ですね。

大橋:そういう考え方になったのはたぶん中学校くらいで、夜中とかにみんなで集まってスケボーしながら溜まったりしていたところから始まってるんだと思います。あれって最高に楽しいし、それがずっと続けばいいのにと思っていたから。それがちょっとずつ形を変えながら今も続いてるような感覚です。スタッフみんなとメシを食いながら「ああでもない、こうでもない」ってやれてる今の状況は本当に夢みたいだなって、いつも思っています。

 


【SHOP DATA】

The Apartment/ジ・アパートメント

住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町1-28-3ジャルダン吉祥寺106号

TEL:0422-27-5519

営業時間:12:00~20:00

定休日:なし

www.the-apartment.net


写真/宮前一喜 文/今野 壘

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