好事家・南 貴之のヴィンテージインテリア紀行[古具のほそ道]
予備知識なしでも目を引く色彩と質感が最大の個性
まだ見ぬグッドデザインに出会いたい――。そんな想いから世界中を渡り歩き、掘り出し物を見つけては手に入れ、また買い逃しもしてきた南 貴之氏。そぞろ神に憑かれた現代の旅びとがおくる、情熱と偏愛の古物蒐集譚。
世間的価値よりも、重要なことがある
以前、友達と岡山に行った際、「ちょっと離れた場所なんだけど、面白い店があるから行かないか」と、とあるカレー屋さんに連れて行かれました。そこは骨董好きの店主さんがやってる変わったお店で、たまにコレクションを売ったりするマーケットを開いているそうなんです。
僕が行ったのは偶然そのタイミングで、そこで見つけたのがこのお皿でした。見た瞬間、絵付けと色合いのあまりの格好よさに惚れ込んで、詳細を店主さんに尋ねると、「これは絶対、濱田庄司の作だと信じてる!」とのお返事が。
もちろん僕でも知ってる作家だし、民藝運動を起こした話なんかも知っていたから、そうだったらすごいなぁ、と。「定かじゃないけれど、それでもよければ買ってくれ」と言われ、少し負けてもらって購入しました。
今も、本当のところはわかっていません。でも、僕は濱田庄司さんの作品かもしれないから欲しかったわけではなくて。ただただ、この柄とか水色の走り方がモダンだなと思ったのが理由です。
もしこれがご本人の真作だったら夢があるかもしれないけど、僕にとっては正直どうでもいい。何か特別な付加価値をつけたいワケではないんです。
世間的価値とか、持ってたら財産になるとか、そういう考え方もいいと思う。でも、それよりも重要なことがあると、僕は思うんです。むしろ、このお皿が本物の濱田作品かどうかは知りたくないなぁ。それでいいんじゃないでしょうか。カレーも美味しかったしね。(南 貴之)
「誰が手が つくりし絵かな 和平皿」
BRAND:UNKNOWN
ITEM:POTTERY PLATE
AGE:UNKNOWN
繊細な色合いの釉描皿。濱田庄司のアーカイブでも類似する作風のものは散見しているが、銘や共箱はなく、作者は定かではない。そんな出自の不安定さを差し引いても、この絵付けの美しさは十分に魅力的だ。
DETAIL
ザラつきのある糸底の表情や、釉薬のムラが味わい深さを強めている。やはり刻印や銘の類は一切入らず、その分、陶器個体としての存在感は高まっているようにも感じられる。
南 貴之
1976年生まれ。国内外のブランドのPR業をはじめ、型にはまらず活動中。公私混同しながら世界中を巡り、日々良品を探している。
[ビギン2021年7月号の記事を再構成]写真/若林武志 文/今野 壘