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2021パリーグでMVPを獲得したオリックスバファローズの山本由伸投手

Photo by Kyodo News/Getty Images

シーズンMVPは優勝チームから輩出されるとは限らない

12月15日に『NPB AWARDS 2021 supported by リポビタンD』が開催され、セントラル、パシフィック両リーグのタイトルホルダーほか選手や関係者が多数表彰された。その大トリになるのが、各リーグにおける公式戦での最優秀選手、いわゆるMVP(Most Valuable Player)の発表だ。
 選考は、5年以上野球報道に関わっている新聞社、通信社、放送局などの記者が1位から3位まで3名を連記する投票によって決まる。当然のことながら、リーグ優勝に多大な貢献をした好成績の選手に与えられるのが常道で、今シーズン選ばれた村上宗隆(ヤクルト/セ・リーグ)、山本由伸(オリックス/パ・リーグ)の2人は、成績、貢献度から考えても王道といえる受賞だった。

 ところが、年によっては、優勝チームと無縁の選手がMVPを受賞することがある。セントラル、パシフィックによる2リーグ制が始まった1950年以降、リーグ最高勝率、またはプレーオフなどを制してリーグ優勝となったチーム以外からMVPとして選出されたのは、以下12名の選手たちだ。

1963年 野村克也(南海/パ・リーグ)
1964年 王貞治(巨人/セ・リーグ)
1974年 王貞治(巨人/セ・リーグ)
1980年 木田勇(日本ハム/パ・リーグ)
1982年 落合博満(ロッテ/パ・リーグ)
1985年 落合博満(ロッテ/パ・リーグ)
1988年 門田博光(南海/パ・リーグ)
1990年 野茂英雄(近鉄/パ・リーグ)
1994年 イチロー(オリックス/パ・リーグ)
2008年 岩隈久志(楽天/パ・リーグ)
2013年 バレンティン(ヤクルト/セ・リーグ)
2014年 金子千尋(オリックス/パ・リーグ)

 彼らは、どのような理由で“異端のMVP受賞”となったのか? その背景を振り返りたい。

初の異端受賞者・野村克也とMVP最多受賞者の王貞治

 1963年、2リーグ制以降初の“異端のMVP受賞”となったのは、12月11日に開催された「野村克也氏をしのぶ会」でも多数の関係者が集まり、その影響力を改めて知らしめた故・野村克也(南海)だ。
 野村はこのシーズン52本塁打を放ち、小鶴誠(松竹)が1950年に記録した51本を抜くシーズン本塁打新記録(当時)を樹立したことで多くの票が集まった。

 ところが、翌1964年に王貞治(巨人)が55本塁打を記録し、野村の新記録をあっさりと塗り替えてしまった。こうなると、当時、資格を有していた記者の多くは王に票を入れざるを得なかっただろう。この年のセ・リーグは阪神が優勝し、主力投手のバッキーは29勝(最多勝)、防御率1.89(最優秀防御率)で沢村賞も獲得したが、MVPは王がさらう格好となった。

 そして、次に異端のMVPを得たのも1974年の王だった。このときは巨人が公式戦2位に終わり、10年連続日本一を逃したシーズンである。たが、王自身は選手として脂が乗りきった時期で、前年に続く2年連続三冠王という当時としては初となる快挙を達成。異端の選出となった。

パ・リーグの侍が続々と異端受賞した80~90年代

1994年史上初となるシーズン200安打を達成しMVPを獲得したイチロー(オリックス)

日刊スポーツ/アフロ

 80年代に入ると、パ・リーグから異端MVPの受賞者が続々と登場する。
 その口火を切ったのが、1980年に受賞した若き左腕・木田勇(日本ハム)だ。木田は新人ながら22勝を挙げる活躍で、新人賞はおろか、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率など投手タイトルを総ナメ。チームも、前期、後期とも最後まで優勝争いを繰り広げ(年間トータルでは3位)、この年は木田一色という空気になったことによる受賞だった。

 新人の大躍進という意味では、1990年の野茂英雄(近鉄)の異端受賞も木田に限りなく近い。野茂も新人ながら勝利、防御率、奪三振、勝率の投手四冠を独占。打者に背中を向ける独特の「トルネード投法」も話題となり、野茂旋風が巻き起こった。

 生涯で通算3度の三冠王を獲得した落合博満(ロッテ)も、そのうち2度において、チームの順位に関係なくMVPを受賞している。最初の1982年のときは、特に史上最年少(28歳)での三冠王獲得が評価された。1985年は、すべての面で1982年を上回る打率.367、52本塁打、146打点という破格の数字を残したことによるもの。誰にも文句は言わせんとばかりの異端受賞であった。

 1988年の門田博光(南海)は、チームの長期低迷、そして、この年限りで親会社が身売りするという苦境の中で、40歳にして本塁打と打点の二冠王を獲得。多くの票が集まった。
 フルスイングによる豪快な打撃で奮闘する大ベテランの姿は、世の中年層にも大いに刺激を与え、「中年の星」とも呼ばれた。

 さらに、1990年代に入ると、1994年にイチロー(オリックス)が異端受賞をしている。この年、プロ3年目にして大ブレイクしたイチローは、それまで誰も踏み込んだことのなかったシーズン200安打の聖域を突破。シーズン最多安打記録を大きく塗り替える210安打を放ったことにより、カタカナ表記による名前での登録名や、独特の振り子打法なども含めて社会現象になるほど注目された。

 80年代~90年代のパ・リーグに異端MVPが多数出現した背景には、現在とは異なるセ・パの人気の格差が関係しているように思う。観客動員の少なかったパ・リーグでは、「派手な活躍をしないと破格の待遇は得られない」とする選手の風土があった。それが個性豊かな選手の多数輩出につながったと考えられる。

2000年以降の異端受賞は3名にとどまる

 1990年代後半から2000年代に時代が移ると、MVPはリーグ優勝したチームから真っ当に選出される状況が多くなったが、それでも、2021年までに3名ほど異端受賞がある。

 2008年の岩隈久志(楽天)は、チームが下位に低迷する中、シーズン21勝という破格の勝ち星を挙げたことが高く評価され、異端のMVPを受賞した。シーズン20勝は2003年にも斉藤和巳(ダイエー)と井川慶(阪神)が記録していたが、もう1勝上積みしたことで、1985年の佐藤義則(阪急)以来23年ぶりの快挙となり、その価値が高まった。

 2013年のバレンティン(ヤクルト)は、王貞治が長く保持していたシーズン最多本塁打のプロ野球新記録である55本を抜き去り、60本塁打という金字塔を打ち立てた偉業による異端受賞であった。

 2014年の金子千尋(オリックス)は、最多勝と最優秀防御率の投手二冠を獲得したことに加え、低迷していたチームがシーズン終盤まで優勝争いを演じた躍進ぶりが追い風となり、票が集まった。だが、次点だった柳田悠岐(ソフトバンク)との差は決して大きいものではなく、選考結果に疑問を呈する声もあったようだ。
 それが原因かどうかは不明だが、柳田は翌2015年に打率.363で首位打者を獲得し、34本塁打、32盗塁の「トリプルスリー」を達成。チームもパ・リーグ連覇を果たし、堂々と王道でのMVPを受賞している。

異端受賞者の出現は時代の変革を予兆しているのか

 こうして長期間を俯瞰するように振り返ると、異端MVPが選ばれるシーズンは、1人の選手が野球界のみならず社会的にも影響を与えたときである印象が強い。
 また、突飛な成績を挙げる選手が出現するということは、野球の質が変わり始めているという「時代の変革」を知らせる狼煙(のろし)のようにも思えた。

 2021年のMVPに戻ると、村上と山本の受賞は、ともに王道の選考であったことは先にも述べた。だが、投手タイトルを総ナメした山本については、もしオリックスが優勝を逃していたら異端MVPになっていたかもしれない。
 それが現実には起こり得なかったという結果は、何を暗示しているのだろうか? 2022年は異端のMVPは出現するだろうか? そんなうがった想像をしながら年末を迎えるというのも、野球ファンの年越しとしてはまたオツなものではなかろうか。

フリーライター
キビタキビオ

《野球をメインに媒体の枠を超えて活動》
2003年より専門誌『野球小僧』(現『野球太郎』)の編集部員を務める傍ら、様々なプレーのタイムを計測する「炎のストップウオッチャー」を連載。12年にフリーとなり、インタビュー、データ、野球史の記事や選手本の構成など幅広く担当。『球辞苑』(NHK-BS1)にも出演中。

文/キビタキビオ

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