string(38) "https://www.e-begin.jp/article/363839/"
int(1)
int(1)
  

CHI-ICH 千市の跳び箱

今回はビギニンを紹介する前に、まず“跳び箱”について考えてみたいと思います。筆者の記憶をたどれば、初めて跳び箱と対峙したのは幼稚園のお遊戯室。以来、小中高と体育の授業で取り組みましたが、それ以上の関係――あん馬や跳馬といった体操競技へ進むことはなく現在に至ります。しかし、改めて思い返すと“跳び箱”は他の運動遊具、マットや平均台などと比べて情緒的でエモさを感じます。それはなぜでしょう?

跳び箱のルーツを紐解くと古代ローマへ行き着きます。馬術の基礎訓練――戦闘時、馬に素早く乗り降りするため木製の練習器具=木馬を使ったのが起源とされ、ローマ帝国の書物にも木馬の記述が存在するそうです。このトレーニングは中世ヨーロッパ時代まで騎士や貴族の間で行われましたが、14世紀に火薬が発明されると状況が一転。戦争から馬が消え、木馬運動は子供向けの乗馬術へ変貌を遂げます。19世紀になるとドイツを中心に、デンマークやスウェーデンといったヨーロッパの国々で体力向上を目的とした近代的な体操が勃興、木馬運動は競技器具を使う“器械体操”に取り入れられ、スウェーデンで跳び箱の原型が作られました。当初は一辺が1.5メートルの立方体に近い形でしたが、ヨーロッパに普及する中で幅が狭くなり、1920年「オーストリア自然体育の創始者」と呼ばれたガウルホーファーが現代に通じる台形(正確には四角錐台)の跳び箱を考案します。日本には、明治時代初期、体操と共に輸入され、1926年公布の学校体操教授要目により全国の学校に置かれることとなりました。

2000年以上に渡り、多様な文明を超えて伝わってきた歴史を見ると、跳び箱には何か人間を引きつける根源的な力が備わっているような気がします。

CHI-ICH 千市の跳び箱

跳び箱をプレイする目的は、高さと、新しい跳び方への挑戦です。「走る」「跳ぶ」「着地」といった身体をコントロールする感覚と、それが調和した結果、跳び箱を超えることでもたらされる高揚感は、運動の本質的な楽しみと言えそうですが、跳び箱はもう一つ大きな魅力を秘めているように思います。私たちは、仕事や生活の中で起こる避けられないアクシデントを「壁」と表現しますが、跳び箱は、どっしりとしたその形状、飛び越えるという運動形式、そして人生の初期に現れるタイミング、それらが相まって、心の成長に必要な“壁”というイメージの原体験を形作り、どこか特別な感情を抱かせるのではないでしょうか。

そんな“跳び箱”に魅せられ、おそらく日本で初めて“インテリアとしての跳び箱”を作ったのが「千市」の市川友祐さんです。跳ぶも人生、跳ばぬも人生。今回はそんなビギニンの半生のお話です。

今回のビギニン

CHI-ICH 千市の跳び箱千市 市川友祐さん

1978年、羽曳野市に生まれる。近畿大学卒業後、木工所で家具製作の経験を積む。家業であるガソリンスタンドの運営を経て、2020年5月、念願だった自身の木工ブランド、千市(CHI-ICH)を立ち上げる。跳び箱、オーダー家具をメインに製作中。今後は、革を使ったオブジェや小物も取り扱う予定だそう。二児の父で、趣味はゴルフ。

idea:
木工所~北欧~ガソリンスタンド、人生の“壁”を超えていく日々

南大阪エリアに属する2つの町、羽曳野市と南河内郡太子町の作業所を行き来している市川さん。跳び箱以外に、オーダーメイド家具も製作されていますが、活動するにあたって肩書きは、特に決めていないと言います。

「木工作家とか家具職人とか跳び箱アーティストとか、自分では名乗ってないんです。なんか気恥ずかしくて。自分の作ってる物に誇りや自信がないというわけではないんですが、なんかそういうんじゃないなと…」

そんな市川さんが、木工の道を志したのは大学4回生の頃。大阪を代表するクリエイティヴデザインカンパニー「graf」がきっかけでした。

千市 市川友祐

「就職活動をせず4回生のギリギリになって、友達にお洒落な家具屋さんがあると連れて行かれたのが『graf』でした。大阪の中之島にショップをオープンされて、しばらく経った頃で、そのときは一階がまだ工場、二階がショールームでした。それを見て、メチャクチャかっこ良くて、それまで家具に興味はなかったんですけど、これを仕事にしようと思ったんです」

偶然にも『graf』に一個上の先輩が働いているのを見つけた市川さん。相談したところ工場長に話を聞いて貰えるという幸運に恵まれます。

「喋ったら、君は家具のことなんも知らんから、木工所で勉強しといでと言われて。で、職安で探した木工所で働くことになったんですが…」

当時、家具に関して全くの素人だった市川さん。てっきり無垢の木を使うと思っていたら、その工場では“芯材”と呼ばれる安価な材料を組み、周りにベニヤの化粧板を貼った「中空合板」で作られた家具(いわゆる安価で買える量産品)を製作していました。(勉強にはなるが、これは自分が作りたかった家具とは違う。だけど、すぐ辞めるのはアレだし、家族経営でおやっさんとおばちゃんもめちゃ良くしてくれるし…)と、出会いを大切に、自らの夢とも折り合いをつけながら木工の道を歩き出した市川さん。しかし家具への憧れは日々募っていきます。中でも影響を受けたのが2000年代から始まった北欧インテリアブームでした。

「北欧家具を目にするようになって、可愛いなと思って。ぼくこう見えて、可愛いものが好きなんですよね。で、北欧に行って向こうで働こうと思って」

大学卒業と同時に木工所へ入り3年が経っていました。市川さんは26歳。事情を話し木工所を退職すると、貯金を使い、一ヶ月の予定で北欧へ向かいました。

「最初のホテルと最後のホテル、それに飛行機を予約して、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドを回りました。向こうで仕事を見つけるつもりやったんです」

奇しくもスウェーデンは“跳び箱”が生まれた国でもあるのですが、当時の市川さんは知る由もありません。各国のアンティークショップを巡りつつ、スウェーデンの“スヴェンスク・テン”でファブリックを仕入れたり、フィンランドの“イッタラ”で工場見学したり、現地で北欧のエッセンスを吸収していきます。しかし、思った以上に言葉の壁は高く、職場を見つけるまでには至りませんでした。異国の地で一人になり(自分は寂しがり屋や…)と落ち込んだこともあった市川さん。大阪に戻ると、再び職安で木工所探して働きはじめます。今度の工場は、合板を使った家具の他、無垢材のテーブルや、ハイブランドの店舗に置く什器を製作していました。ここで6年にわたって修行し、結婚もした市川さんに新たな契機が訪れます。

千市 市川友祐

「実家が羽曳野のガソリンスタンドなんですが、色々あってそこで働くことになったんです。家族から直接『手伝ってくれ』とは言われなかったんですが、自分は長男やのに何してるんやろうと。」

このとき市川さんは32歳。昔から家業を継ぐ気は全くなかったが、やるからには腹を括った市川さん。仕事をしてみると接客の楽しさに気付きます。「ガソリンて日用品やから安いに越したことはありません。けど、うちはセルフじゃなく、小さい田舎のフルサービスで、それならお客さんと仲良くなるしかないと。気に入ったらまた来て貰えるでしょうし」

家族一丸となって経営を立て直し7年の歳月が経った頃、市川さんの心に秋風が吹き始めます。

「理由は色々あったんですけど…。あるときふと何のために自分はこの仕事してるんやろうと思ったんです。自分の人生一度きり、やっぱりやりたい事を仕事にしたい。40手前で人生まだ先あるし、ここやなと思って」

ガソリンスタンドに区切りをつけた市川さんは、再び意外な行動に出ます。

Trigger:
自転車で跳び箱職人に出会い、後継者になるべく修行を始める

「木工はずっとやりたい気持ちがありました。ガソリンスタンドをやめて、前いた木工所の社長から戻って来いと言われてたんですが、また誰かの下で働くのもなと…。当時、免停中で車が乗れなかったんで、何かないかなと思って自転車で家の範囲をぐるぐる回ってたんです」

そんなとき、羽曳野市の東部を流れる石川沿に、不思議な木工所があったことを思い出します。

イワモト 羽曳野工場

「ガソリンスタンドの配達で何回か前を通ったんですが、その木工所、いつも、おっちゃんが川の方を向いて座ってたんです。隣に跳び箱を置いて。その光景が印象的で。で、久しぶりに行ったらやっぱりおっちゃんが座ってて。次の日も同じ。3回目に『こんにちは、跳び箱作ってるんですか?』と声をかけたんです。『そや』と頷いたんで、近づいたら、おっちゃん怪我したのか左肩が下がってて。『左手どうしたんですか』って聞いたら、半年前に脳梗塞になって右半身しか動かへんねんと。『それで跳び箱作ってるんですか』って驚いて。訊いたらそのとき76歳くらい。夫婦でやってて、おばちゃんが重い物を持つんですが、おばちゃんも同い年で、大丈夫かと。で、手伝いましょかて言うたのがきっかけです」

申し出を二つ返事で受け入れられた市川さんは翌日から羽曳野の跳び箱工場に通い始めます。

「自転車で家から10分くらいの距離で、誰かの下で働くのは嫌やったけど、跳び箱は面白そうやなと思ったし。それで、手伝いに行って2日目に『市川くんこれやるか』と言われて。息子と娘がいるんやけど働いてて後継者がいない。もしやるんならこの機械も取引先も譲るからと誘われて、やります!と即答しました」

人生に現れる壁を、あるときは越え、あるときはかわし、ついに運命の“跳び箱”に辿り着いた市川さん、後編に続きます。

「失礼やけど、いつ辞めるんですか?」 後編に続く

CHI-ICH 千市の跳び箱

千市 / 跳び箱
一般的なスツールの高さ45.5cmに合わせて作られた4段の跳び箱。北欧家具にインスピレーションを受け、トップのクッション部分には豚や牛の革を使用、鋲は真鍮メッキ加工が施され高級感が漂う。素材や構造は、本物の跳び箱と全く同じなので、段を低くすることも可能。腰をかけたり、一段目を単体で踏み台にしたり使用方法は様々。本物の跳び箱に比べると安定性に欠けるため、跳び箱として使うこと(手を突いて飛び越えたり、飛び乗ったり)はNG。あくまでオブジェとしての跳び箱。受注生産6万6000円~(税込)

(問)千市
https://www.instagram.com/chi.ich/
https://chiich.base.shop/


写真/中島真美 文/森田哲徳

特集・連載「ビギニン」の最新記事

跳ぶか、跳ばないか。北欧デザインの跳び箱[前編]【ビギニン#11】

Begin Recommend

facebook facebook WEAR_ロゴ