特集・連載
【不透明な世の中を灯す透明の世界】富山県ガラス工芸を巡る旅
【INSTANT JOURNEY】
当たり前の週末が、当たり前に過ぎてしまわぬよう。INSTANTな週末を記憶に残るJOURNEYに。巷のガイド本では教えてくれない、一生モノの週末旅をお届けします!
この記事は特集・連載「【INSTANT JOURNEY】」#06です。
先が見えづらい世の中で、生活の基盤となる“住まい”を見直すことはより大切になった。家具や日用品はその重要な役割を担っている。食事が一段と旨くなる一枚板テーブルや、座るだけで心が解きほぐされる傑作チェア。器やコップ、照明だってそう。いつだったか正確には思い出せないが、どこかで目にしたシンプルなグラスが脳裏に焼き付き、事あるごとに思い出す。そして、その答えは“ガラスの街・とやま”にあった。
富山は、なぜガラスの一大生産地としての地位を確立できたのか。その歴史を100字でサクッと説明するとこんな感じ。【江戸時代にくすりの富山として名を馳せ、ガラスの薬びんの産地に発展。その後、街と市民が一丸となり1985年に富山市民大学ガラス工芸コースを開講。ガラス作家の育成に尽力し、〝ガラスの街・とやま〟となった。】
1991年には、全国初にして唯一の公立のガラスアート専門学校『富山ガラス造形研究所』を設立し、1994年に『富山ガラス工房』を開設。そして、約30年にわたるガラスの街づくりの一環として、『富山市ガラス美術館』を開館した。では、富山のガラス工芸にはどんな特徴があるのか? 富山駅から車で約20分、その真相を探るべく『富山ガラス工房』へと向かった。
日本には沖縄の『琉球ガラス』や佐賀の『肥前びーどろ』、東京の『江戸切子』などそれぞれ一目でわかる特徴を有したガラスの生産地が点在している。それでは富山にはどのような特徴があるのだろうか? 『富山ガラス工房』を拠点に活動する気鋭のガラス作家、宮本崇輝さんに話を聞いた。
「全国のガラス生産地と違い、富山は作家ごとに個性が異なるのが特徴です。ここには、国内外問わずさまざまなバックグラウンドを持ったガラス作家が集まっています。技法も千差万別で、それぞれが自由に制作活動を行っている。色んなカルチャーがMIXされ、固定概念に捉われない作品を生み出すことができることこそ、富山ならではの魅力だと思っています」(宮本さん)。また、富山はガラス工芸を発展させるための地盤が整っているのも特筆すべきポイントだ。
「ここは、『富山ガラス造形研究所』を卒業した人たちがガラス作家として活動するための受け皿として誕生しました。企業からの案件を制作する“コミッションワークスペース”や、現在120名程度のガラス作家が創作に励む“レンタルスタジオ”があります。自分の工房を持つのは費用も掛かりますし、365日ずっと溶解炉に火を灯し続ける必要もあるので、なかなか難しいんです。また、ここではお客様が制作風景を見学できるだけでなく、富山県のガラス作家を中心としたギャラリーも併設されているので、実際に作品を手に取ってご購入いただけます。制作体験もできるので、ガラスのことを知るにはベストな施設ですよ」(宮本さん)
レンタルスタジオでは、奈良県出身で北海道・福島での活動を経た中尾雅一さん(写真左)や、埼玉県出身で新島での活動を経て現在自身の工房の設立準備中だという小宮崇さん(写真右)など、宮本さんが言うように全国各地からガラス作家が集まっている。制作体験スペースは、市民や観光客がガラス制作を体験できるほか、イタリア人のレジェンドガラス作家リノ・タリアピエトラ氏によるデモンストレーションが行われたり、観客席があったりと他にはない規模感を誇る。
『富山ガラス工房』のすぐ隣にあるのが『富山ガラス造形研究所』だ。「ここは、富山市が運営している全国で唯一の公立のガラス専門学校なんです。2年間学んだのち、試験に合格した学生はさらに2年間学ぶことができます。現在は、アメリカ人とチェコ人の先生が在籍し、国際色豊かな授業も魅力。学長は“ファミリーを作りたい”と常々口にしており、アットホームな空間で真剣にガラスと向き合えるのがイイですよね」(宮本さん)
言葉にできない奥行を湛えるグラスは、宮本さんの作品。「7つの色を重ねてから、ガラスを吹いています。その後、表面を削る具合によって表情と色合いに変化を加えていく。ガラスではあまりやらない技法なんです。後で気づいたのですが、漆の技法に似ているなぁと。ガラス工芸ってヨーロッパから始まったこともあり、非常に合理的。1+1=2にならないときは、1に原因がある。それを検証することで2にしていく。でも、日本のモノづくりは真逆。手の感触に従い結果に行きつくまでのプロセスを楽しむ。素材と対話することから生まれる、偶発的な部分に重きを置いているような。その両面を、ひとつのグラスで表現しました」(宮本さん)
宮本さんをはじめ、『富山ガラス工房』でお世話になった人たちはみんな穏やかなのが、とても印象深かった。ガラスの街、とやま。そこにはガラスを学ぶ環境や作り続ける地盤、そしてガラスの未来像があった。
富山ガラス工房/制作体験は、吹きガラス・ペーパーウェイトなどを中心にさまざまなコースが用意されている。富山のオリジナル色『越翡翠』や『越碧』で制作できるのも嬉しいポイント! 住:富山県富山市古沢152番地 営:9:00~17:00(体験時間9:00~12:00/13:00~16:00) tel:076-436-2600(代表)/076-436-3322(体験受付) https://toyama-garasukobo.jp/ https://www.instagram.com/toyamaglassstudio/
世界的に有名なガラス作家が富山にいる。自身の名を冠したブランド『PETER IVY』の創設者、ピーター・アイビーさんだ。
富山駅から車で約30分、田園風景が広がる道を進み、脇道に入ると……気持ちのいいガラス窓が多く設けられた古民家が出現! ここが、ピーター・アイビーさんの自宅兼ギャラリーで、道を挟んだところにはガラス工房『流動研究所』がある。築70年の古民家をピーターさん自身による設計で改装を続けて早6年。いまだ完成はしておらず、「実験的な家なので、気づいた点があれば都度手を加えます。永遠に完成しないんじゃないかな」と語るピーター・アイビーさんはなんだか嬉しそう。むき出しになった牛梁や、日差しの陰影が美しいサンルームなど、思わず深呼吸したくなる空間が広がる。
モロッカンタイルが敷き詰められ、脇には小川が流れる素敵なギャラリーで作風についてお伺いした。「アメリカにいるときは、技術的な鍛錬も兼ねて色を多く使った作品や、オブジェ的な作品を多く制作していました。でも、実際自分が使いたいものは凄くシンプルなものばかりだったのです。オブジェは表現で、意味を教えている感じ。自分が好きなものは、もっと静かで、使う人に経験させるものだった。それから“作りたい”と“使いたい”のバランスについて考えるようになりました」(ピーター・アイビーさん)
また、ピーター・アイビーさんは作品のディテールをもの凄く大切にしている。「このグラスは、遠目にはとてもシンプルです。でも、光を当ててよく見てみると……道具の跡やキズ、気泡があるのがわかりますよね? 正直、ファーストインプレッションは5%くらい(笑)。でも、使っていくうちに100%に近づいていく。グラスは、入れる飲み物によって表情が変化することを楽しむものであり、入れるものがあってこそ完成すると思っています。私が作りたくて使いたいものは、このようなシンプルだけど飽きがこないもの。色があったり派手なグラスは、たとえファーストインプレッションは95%でも、パッと見たら……それで終わりですから」(ピーター・アイビーさん)
作品作りにおいては①技術と機能②見た目のバランス③フィーリング、の3つがちょうど交わる部分を大切にしているという。そして、普段の生活や趣味を発想源とし、自分が使いたいと思うものをピュアに作り続けている。そのなかでも、ピーター・アイビーさんは車が大好物。高校卒業後、自動車整備の仕事をしていた経験もあり、今ではミッションも自ら取り替えられるそう! 愛車である1984年製のランクル40から着想を得たディテールを教えてもらった。
「例えばこのボタン。触った感じがとても好きで、銅製の栓のデザインベースにしました。そして、ジャーに取り付けているワイヤーは、車のあまり見えない部分によく使われている機構(パーツ)から着想を得ています。誰も気づかない部分をあえて見せると、面白いんじゃないかって。ボタンの感触もそうですが、このワイヤーを締めるときのフィーリングがとても好き。カチッという音も相まって、一つの作業に句点を打つような感じが気に入っています」(ピーター・アイビーさん)。シンプルだけどユニーク。ガラスと異素材の組み合わせは『PETER IVY』の真骨頂だ。
ちなみに現在は、1971年製のポルシェに手を加えている最中だそう!
家の設計も行うピーター・アイビーさんらしいアイデアが盛り込まれた作品がこのお重箱。「失敗して使わないガラスなどを再度溶かして板にするのですが、その板をお重箱に活かせるのではと思いついたんです。後で気づいたのですが、これってほら、建具みたい! 記憶のどこかに残っていたんでしょうね」(ピーター・アイビーさん)。木の組み方も素敵で、ガラスとのコントラストも美しい。最近の作品のなかではとくにお気に入りなんだとか。ピーター・アイビーさんは、普段ほかのガラス作品を見たり、勉強したりすることはあまりないという。ガラス以外の本や音楽、建築etc.、がボキャブラリーとなり、そこからデザインが生まれているのだ。
クラシックなノートにペンを走らせるだけでなく、CADも巧みに使いこなすのがピーター・アイビーさんの特徴だ。「今制作しているのは六角形の照明のソケットとナットです。細かいパーツまで出来るだけ自分の手で作りたくて。CADで設計したものを3Dプリンターで出力して成形した後、実際に組んでみてバランスを考えます。最終的には真鍮でやりたいなって思っています」(ピーター・アイビーさん)。ノートにイメージやそのときの気分を赴くまま書き込み、CADでそれを設計し具現化する。
2階のデザインルームの中央に掛けられたハンモックでだいたい10分ほど揺られたら……いいアイデアが浮かんでくるのだそう。
“リーバイスといえば501”のように、『PETER IVY』の代名詞は?という問いかけに対する答えは一つに絞れない。ある人は、極限まで薄く仕上げられたグラスやお皿に魅せられたと言い、ある人はワイヤー付きのジャーに惹かれ、ある人はライトカプセルこそ『PETER IVY』だという。そう、『PETER IVY』にはアイコンがないのではなく、使う人の目線によってアイコンがそれぞれ異なるのだ。そのすべてが、“繊細さと温もり”を宿し、使うたびに味わいを増していく。そしてそれらは、ガラス工房『流動研究所』から生まれる。
1200℃の溶解炉にブローパイプを入れ、溶けたガラスを巻き取る。そして、ガラスがまだ赤いうちに息を吹き込み、膨らませる。それを繰り返し行いつつ、形を整えていく。「ガラス制作は必ず2人以上で行います。1人では決してできない。間を感じ取りながら制作を進めていく様は、ダンスのように息の合った共同作業なんです」(ピーター・アイビーさん)
キレイに並ぶ道具は、オペの道具出しのように無駄がなく、次の工程を見据えてパートナーが並び替えたり整えたりする。各工程の瞬間に抗うことなく、川の流れのように作業は進み、ジャーの蓋が完成した。「縁の部分はガラスを折り込んで2重にしているので、強度もあってとても使いやすいですよ」(ピーター・アイビーさん)。言われないとわからない高度な技術と気遣いが、そっと吹き込まれていた。
仕事において大切にしている3つのことは①手を使うこと②チームで動くこと③みんなで挑戦すること。そして、『流動研究所』は現在6人体制のチームで活動しており、ピーター・アイビーさんはガラスのバトンを繋ぐ時間を惜しまない。「ガラスを扱えるようになるまで10年はかかります。でも、学校だと2~3年ですよね。とてもじゃないけど足りない。だから、技術を残すためにこの場所は必要なんです。日本の木製の船のように、技術が途絶えてしまったものはもう作れない。ガラスだって昔はすべて手作りでしたが、今では希少になってしまった。ここが、彼らの居場所になればいいと思っていますし、私がいなくなっても続くことを祈っています」(ピーター・アイビーさん)。“モノを作る生活が豊かで幸せなこと”だと誰よりも知っているからこそ、その道を残したいと強く願っているのだと感じた。
流動研究所/工房及び自宅兼ギャラリー見学のプランは絶賛準備中。「予約して時間を作っていただいた方に、ゆっくり丁寧な案内ができればと思っています」(ピーター・アイビーさん)。最新情報は、webサイトやインスタグラムをチェックしてください。住:富山県富山市婦中町富崎238−1 tel:076-461-4846 https://www.peterivy.com/ja/ https://www.instagram.com/peterivy.flowlab/
なぜ、ピーター・アイビーさんはそもそもガラスに惹かれたのか気になった。「ガラスは“一番何もない”に等しい素材です。そこにあったとしても、気づかないくらいですから。それが、とても美しいと思ったのです。後は火も好きで。冬だったら、自分だけの太陽がそこにある気がします」(ピーター・アイビーさん)。ガラス制作は終わりなきチャレンジであり、飽きることはないと言い切る。「自分によく言い聞かせるのは、“D o the best with what you have.”という言葉。始まりは、今車庫になっている狭い工房でした。そこで、小さな溶解炉に火を灯した。今あるもので、どうすればベストを尽くせるか? その自問自答が尽きない限り、止まることはありません」(ピーター・アイビーさん)
最後に、ピーター・アイビーさんにとって思い入れのある作品について尋ねてみた。「まだアメリカにいたときに制作したシャボン玉の作品です。20年以上前ですかね。ガラスとは何か?と向き合っている時期で、ガラスと似てる素材を探しているとシャボン玉が思い浮かびました。そして、シャボン玉だったら何ができるかを考えた末、すぐ割れてしまうシャボン玉をもう少しゆっくり眺められたら素敵だなって。2~3時間は持ちますし、液を上手く作ると数日持つことも。時間が経つと半球になり、表面の虹色が上から下に落ちてくるんですよ! “オブジェ”と“日用品”を天秤にかけると、どちらにも傾かないバランス。必ずしも必要なものではないけれど、無くてはならないような……。指針である“Form follows function. (機能がデザインを生む)”を教えてくれたとても大切な作品なのです」(ピーター・アイビーさん)
ピーターさんの作品がある日常は、きっと昨日よりも、ずっといい。
あの日、どうしてあのグラスが脳裏に焼き付いたのか、わかった気がした。
写真/松島星太 文・編集/増井友則