string(38) "https://www.e-begin.jp/article/363870/"
int(1)
int(1)
  

季節の変わり目は、苦手だ。特に、夏から秋、そして冬に向かう境目が。夏の思い出~に後ろ髪を引かれるからか、単純に寒いのが苦手なだけなのか?(笑)。そんなときは、Tシャツからニットに袖を通すというファッションの変化を通じて、なんとか気持ちを高めていく。1952年に創業した『米富繊維』。ニット作り一筋の老舗だ。レガシーにすがることなく、歩みを止めず、遂には工場内にショップをオープン! モノづくりの現場と交わる1泊2日の山形旅に、胸アツしていただければ嬉しいです。


山形駅から左沢線(あてらざわせん)の電車に揺られること15分、羽前山辺駅(うぜんやまべえき)に到着(週末は1時間に1本だけなので、time is moneyな人は山形駅でレンタカーを。車だと20分くらい)。車窓から流れる田園風景や、ベッドタウンの駅とは真逆の佇まいは、ホッとする。ココ、山辺町はかつて町中がニット工場であふれていたが、今は、『米富繊維』をはじめ数社のみ。ニットの未来を託された目的地へは、駅から普通に歩くと10分くらいだが、自然とスローペースになるので、15分くらいは見ておいたほうがいいかもしれない(笑)。

モノづくりの現場への取材は、Beginで何度も行ってきた。それは、見るからにいわゆるボクらの大好物である“THE FACTORY”という趣き。でも、敷地内へ入り50歩程進むと……なんとショップが出現! 2022年8月に、工場のモノ置き場が『Yonetomi STORE』へと生まれ変わったワケを、『米富繊維』の大江社長に語っていただいた。

『Yonetomi STORE』立ち上げの核心に至るには、大江社長のこれまでを知る必要がある。
「小さいときは、とにかく地元から出たかった。父親も祖父も結構洋服が好きな人で、海外から買って来てもらった服を着せられたりしていたので、ファッションには興味がありました。“工場=地味”なイメージで、ファッションをやるなら東京だなって。当時は情報格差がめちゃくちゃありましたから」。
大学入学を機に上京し、その後大手セレクトショップへ入社して販売員を経験する。「先輩に教えていただいたなかで一番心に残っているのは、“有名なブランドを着ることが、すべてではない”ということ。とくに、セレクトのオリジナルってパッと見、何がスゴイのかわかりづらいですよね。ブランドではなく、“商品そのものの一番イイところを見つけて伝える”ことの重要性を学びました」。

そんななか、大江さんにひとつの疑問が生まれる。
「当時、お店ではイタリアのインコテックスやカルーゾ、ベルベストにクルチアーニ、イギリスならジョン スメドレーなど、“欧米のファクトリーブランド”が人気だったんです。欧米の工場は、OEMもやってるしブランドもやってる。どうして日本にはファクトリーブランドが存在しないのかって。同じ工場で同じ人間がモノづくりをしているのに」。当時、『米富繊維』も厳しい時期で、日本の工場もどんどん潰れていくという現状も重なり、大江さんは2007年の30歳を機に地元へ戻り『米富繊維』に入社する。

「会社を継ぐためというよりは、この会社でまだ誰も挑戦したことのない“ブランドを作る”という新規事業を立ち上げるために入社しました」。そこから3年後、今では各セレクトショップに並ぶファクトリーブランド『COOHEM』が誕生する。次期社長の新事業とくれば、工場の人たちもさぞ大歓迎かと思いきや、意外にもそうじゃなかったらしい(笑)。
「ブランドを立ち上げるといっても、工場の人たちからしたら、何をいってるのかさっぱりなんです。反対もしなければ、協力もしない感じ(笑)。発注があったものを、心を込めて作るのが彼らの仕事でしたから。商品を作る人と買う人の間にある精神的距離って、すごく遠いんだなって。でも、諦めなかった。僕は、工場の人たちからしたら当たり前の技術に、毎日感動していました。販売員の頃に学んだ“一番イイところを見つけて、伝える”ということを思い出し、米富繊維の技をブランドとして形にしたいと無我夢中に動きました」。

『COOHEM』は2016年に東京ファッションアワードを受賞したことをきっかけに起動に乗り、レディスだけでなくメンズも展開することに。現在は、『THISISASWEATER.』、『Yonetomi』の3ブランド体制となった。そして、2022年8月に『Yonetomi STORE』をオープン。
「販売員の経験から、いつかお店を作りたいと思っていました。最初は、東京にって考えていたのですが、コロナがあって。東京に行けない状況だったので、山形でポップアップを開催してみたんですが、想像していた以上にたくさんの人が来てくれた。コンセプトの異なる3ブランド体制となり、幅広い年代と感度にリーチできたという手応えも。後はやっぱり、工場内にショップを作ることで、ココに戻ってきたときに感じた、“商品を作る人と買う人の距離を限りなく近づけたかった”のかもしれません」。ショップを作る際、敷地内に別棟を作る案もあったが、あくまでも建物内にこだわった。少し離れただけでも、距離が生まれてしまうからだ。

ショップオープンに伴い、工場見学ツアーもできるように。また、販売員の募集はかけず、店番は社員で行っているという。「いきなり、ゴリゴリの販売員が接客するのもなんか違うなって(笑)。縫製の若い子から生産管理や経理の役職者まで、ローテーションで接客を担当しています。作る人たちにとっても、買う人たちと触れ合える場所は貴重だと思うので」。
普段はボクたちとやりとりをしてくれる敏腕広報の鈴木さんも、そして、大江さんも自らお店に立つ。
お店のBGMは、工場から時折聞こえてくる”キーンコーンカーンコーン♪”というチャイムのみ。
これがまた、めちゃくちゃ心地イイのだ。


「米富繊維の技術力をふんだんに駆使しながら、昔から続いてきたものに“無理やり新しい解釈”を加えたのが『COOHEM(コーヘン)』です。ずっと“いわゆるなセーター”を作ってきたわけですから。作るモノは、ライダースやジャケット、靴だったり。生地をデザインすることで、色々なモノへと発展させられることに気づきました。そうすることで、“ニット=秋冬”という固定概念を覆すことができた。とにかくハードでテクニカルです」。


コアなファンから圧倒的な支持を獲得している『COOHEM』。
このフェイクスエードの“ウエスタン ツイード ジャケット”も、もちろんニットだ。「自分でいうのもなんですけど、もうニットじゃないじゃないですか(笑)。」と嬉しそうな大江さん。これまで編み立てることは不可能とされていたフェイクスエードを、米富繊維の独自技術で形にした。

こちらは、J.PRESS ORIJINALSとの共作となる“2B ニット ネイビー ブレザー”。「僕自身、ブレザーがずっと好きで。素晴らしいブランドと一緒に作ることができました」。2種類のポリエステル糸を使ってホップサック調に編み立て、表面に高圧プレスを施した生地を使用。ニットならではの伸縮性と光沢がありながら、本格的なブレザーの顔を持つ力作だ。
「せっかくお店を始めたので、ニットジャケットのオーダー会をしてみたい。袖丈・着丈の調整とかね。パタンナーもすぐ近くにいるし、この環境ならできるんじゃないかって思ってるんです」。

「2013年頃から構想はありました。『COOHEM』だけですべてをカバーするのは難しく、会社にとってもイイことだと思って。ただただ“美しい普通のセーターを作る”。そこに、時代性に沿うアプローチだったりプロポーションを加えるくらいが丁度いいのではないかと思っています」。
2020年に立ち上がった『THISISASWEATER.(ディスイズアセーター)』のラインナップは現在2型。アランニットの“A2:A SWEATER IS LOVE.”と、こちらの5ゲージのクルーネックニット“A1:A SWEATER IS ORDINALY.”だ。

『Yonetomi STORE』では既存の6色に加えて限定のオレンジを展開。「山形の人って、オレンジが大好きなんですよ(笑)。山形県の花として定められているベニバナという花の色です」。
『COOHEM』と『THISISASWEATER.』。その2つのブランドが交差して編まれるニットづくりこそ、米富繊維を米富繊維たらしめる所以なのかもしれない。

コロナ禍において工場の稼働を止めないために始めたブランドが、社名を冠した『Yonetomi(ヨネトミ)』だ。一見ベーシックな佇まいでありつつも、実はめちゃくちゃスゴイことをしている。その最たるものが、こちらの“リジッド カシミヤ ニット セーター”だ。

「無染色の一度も水を通していないカシミヤの糸を限界まで撚り(12番双糸)、通常7ゲージで編むところを10ゲージでギンギン度詰めして編んでいます(笑)。カシミヤだからって丁寧に扱うんじゃなく、ガンガン着倒してほしいですね」。
それはまるで、自分で育てるジーンズのようであり、まるで世界一贅沢なチャンピオンのスウェットとでもいうべきか。もちろん、洗うたびにカシミヤらしいふわふわの着心地になるが、ガシガシ感を維持したい場合はドライクリーニングがオススメ。買わない理由はなく、即購入! 大江さんのように、キャンプで着る勇気はないけど(笑)。

1階は『THISISASWEATER.』や『Yonetomi』などベーシックな商品、2階はファッション性の高い『COOHEM』を据えつつ、大江さんがこれまでの繋がりや自分がイイと思ったセレクト商品を随所に。『ブルーブルー』や『フライターグ』に『ダントン』から、USA製の防水ケースや古着の軍パンまで! 「『ワイノット』というカナダ発祥のメッセンジャーバッグも手に取っていただきたい。また、雪も多い山形の気候も加味して、『エンダースキーマ』はビブラムソールのシューズのみをセレクトしています」。2階から見える、左沢線の電車もイイ雰囲気♪ 工場見学は毎月第3土曜日に実施! ヨネトミストア/営:12時~19時 休:月・火・第一日曜、第三日曜 tel:023-664-8165 インスタグラム

『Yonetomi STORE』の2階から、スリッパに履き替えるスタイルで社内の廊下を通り抜け、工場見学へ。まずは、米富繊維のDNAである編み地開発部門の岸 哲也さんのお仕事ぶりを拝見!

「勤続年数は27年。私が入社する前から、米富繊維では量産品のニットを作るほか、“編み地開発”の部署がありました。そのころからず~っとニットの可能性を探求していた。ですから、アーカイブが山盛りある(笑)。新しい編み地を生み出すといっても、これまでの財産を活かしつつ、時代性に合わせて編集しています」。アイデアを形にするため、ニット専用のソフトを使ってプログラミング。「柄を生み出すために機械をどう動かす(針の落とし方など)かを作っています。そして、編み地の引っ張る強さや目の大きさなど、編機を微調整しながら理想に近づけていくんです」。

ここ最近で一番難しかった編み地を尋ねると「フェイクスエード(笑)」と即答! 「フェイクスエードって糸が弱くてとにかく切れやすい。引っ張りすぎても緩すぎてもダメ。ウールで編むときにはありえない調整を機械に加えることで、なんとか形になりました」。
「もうやりたくない!(笑)」とはにかむ表情には、未知なる編み地開発への好奇心が滲み出ていた。

石川県出身で入社3年目の野村宗佑さんは、専門学生時代に『COOHEM』を知り『米富繊維』に入社。「最初は縫製を学び、それからパタンナーに。今は『COOHEM』のアシスタントデザイナーも兼任しています」。パタンナーとは、裁断・縫製・成型・リンキングといった各工程の人たちと話し合いを重ねながら、理想とする完成品を目指して型紙を作る仕事だ。あらゆる知識が必要になる、工場の司令塔的なポジションでもある。

ゆくゆくはデザイナーを目指しているという宗佑さんにニットの面白さを問うた。「同じ糸を使っても、ゲージや編み方によって完成するモノって、ホントに全然違うんです。モノづくりのイロハが詰まっていますね」。静かなる情熱を秘めた宗佑さんの存在が、『米富繊維」の未来なんだなとワクワクした瞬間だった。

勤続年数40年!という渡辺晶子さん。「隣町の寒河江出身で、ここに来る前は和菓子店でお饅頭とかどら焼きを作っていました。モノづくりはずっと好き」。編み地をパターンに合わせて裁断し、縫製するのが晶子さんの役割だ。

「普通のセーターだけじゃなく、ジャケットやカットソーなどココでは色んなモノを作るでしょ? 裁断するパーツも増えますよね。縫製する際に縫い合わせる目印を付けるんだけど、ほら、こんなにたくさん(笑)」。
取材中も、若手の社員さんたちが代わる代わるアドバイスを聞きにくる。渡辺さんは、工場のお母ちゃん的存在だった。

編み地開発からの最終バトンを受けるのは、勤続30年を迎えた中嶋トシ子さん。成型・リンキング工程を担当する。リンキングとは、リンキングミシンの矢に、2枚の編み地のループを一目一目引っ掛ける地道な作業。伸縮性がアップするほか、縫い代がフラットになり肌触りもよくなる。

「10歳の誕生日にね、父親がピンクのニットカーディガンを買ってくれたの。ボタンもピンクで、撫子のちっちゃな刺繍も入ってて。それがとにかく嬉しくて嬉しくて。こんな素敵なモノを作れる人がいるんだって感動したなぁ。着れなくなったら自分で帽子にしてずっと愛用していました。今でもピンクのニットがやってくると、テンション上がっちゃうもん(笑)。ニット、大好き」。
どんなにイヤなことがあっても、着てくれる人の顔を思い浮かべて仕事に没頭し続ける。

今でもトシ子さんは、10歳のまま。
「天職だって思っています。一生現役!」。

ファッションは生活なり。
これは、創業者・大江良一さんの著書のタイトルであり、米富繊維のDNAだ。
「よく、地方にいると“こんなお洒落な服、着ていくところがないよ”という言葉を耳にします。とはいえ、人はTシャツとジーパン、ダウンジャケットにスニーカーだけでいいのかといえば、そうじゃないと思うんです。山形の人たちにとっても、お洒落をすることが普通になり、『Yonetomi STORE』がそのきっかけになれば嬉しいですね」と健さん。
『COOHEM』・『THISISASWEATER.』・『Yonetomi』。
ニットづくりが好きで好きでたまらない人たちが交わって編み立てた、
日本・山形のファクトリーブランド。
あの日、健さんが目の当たりにした“欧米のファクトリーブランド”と同じ姿を、
ボクはココで目の当たりにした。

そして、『Yonetomi STORE』が新たな“衣”場所となっていく。



shotamatsushima / tomonorimasui

写真/松島星太 文・編集/増井友則

特集・連載「【INSTANT JOURNEY】」の最新記事

工場にまさかのショップ出現!? 「米富繊維の現在地」を巡る旅

Begin Recommend

facebook facebook WEAR_ロゴ