string(38) "https://www.e-begin.jp/article/364012/"
int(1)
int(1)
  

HISTORY

ポーターやラゲッジ レーベルなど、誰もが知る不動の人気ブランドを輩出し、その圧倒的なクオリティと機能性、そしてデザイン性によって鞄界を牽引し続ける吉田カバン(「吉」は土に口の吉、以下同)。同社の製品はなぜ国内外を問わず愛されるのか。日本を代表する鞄メーカーとして各国で高い評価を得られる理由と、同社ならではの物作りの真髄に迫ります。

history01

創業者・吉田吉蔵氏は1935年、東京・神田須田町に「吉田鞄製作所」を設立。
1951年に株式会社吉田として改組し、東神田へと拠点を移した。写真は東神田の旧社屋。

鞄の原点は“1本の紐”である

吉田カバンの5W1H

 Who?  吉田吉蔵
名前の読み方は「きちぞう」。明治39(1906)年、現在の神奈川県高座郡寒川町出身。8人兄弟の農家の次男として生まれる。ちなみに奥様の千香夫人も同じ寒川町で生まれ育った幼馴染みである。

 

 When?  1935年
吉蔵氏が幼い頃は、まだ丁稚奉公が当たり前の時代。同氏もなんと12歳の若さで上京し、東京・上野の名店へ奉公に出ることに。同店で鞄作りのノウハウを学び、1935年に独立。日本の鞄メーカーとして初めて、社内に企画・デザインを専門に担う“企画部”を立ち上げたのが吉蔵氏である。

 

 Where?  神田須田町
古くから革や部材の販売店が散在し、職人も近隣に多く職場を構えていたことから、千香夫人とともに住居兼作業場として、同地に「吉田鞄製作所」を設立。ちなみに同社直営店「KURA CHIKA YOSHIDA」は、夫婦の名前(蔵・千香)が由来となっている。

 

 What?  鞄
奉公先として候補に上がったのが自転車店と鞄店。吉蔵氏は手仕事に興味を持っていたため、自ら進んで鞄の道を選んだ。また17歳で関東大震災に見舞われた際、避難時に1本の紐の両端に荷物をくくりつけて運んだ経験から、「鞄とは第一にモノを運ぶ道具でなければならない」「鞄の原点は1本の紐である」という信念を抱くに至った。

 

 Why?  修行先からの独立
上野の名店で修行を積んだ吉蔵氏は、生来の真面目な性格も手伝い、腕利きの職人へと成長。同店で重用されていたため独立をなかなか承諾してもらえなかったが、29歳のときに念願が叶って一国一城の主に。

 

 How?  手売り販売
吉蔵氏は二度にわたって戦争に徴兵されている。戦後職人として復帰した後は、キャンバス地でリュックサックやショルダーバッグなどを作り、リヤカーに積んで銀座まで繰り出し自ら手売りしていた。ちなみに当時使用していたリヤカーは現在も同社にて保管されている。

“Heart and soul into every stitch”

history02
吉田カバンでは、創業者・吉田吉蔵氏の物作りに対する精神が、今では社是になっている。それが「一針入魂(いっしんにゅうこん)」。同社の精神は、まさにこの言葉に集約される。それはひと針ひと針を丁寧に縫い合わせていく作業のように、素材選びからデザイン、縫製にいたるすべての工程に手を抜かない、という物作りへの妥協なき姿勢を表現したものである。1951年に株式会社吉田へ改組し、1962年に自社ブランド、ポーターを発表。この当時、日本の鞄メーカーがプライベートブランドを持つことは大変珍しく、同社が古くから強い革新性を備えていたことを物語る事例のひとつといえる。

写真/武蔵俊介 文/黒澤正人 取材協力/吉田カバン
本記事の情報は、2017年6月時点のものです。記載されている商品の価格や問い合わせ先、仕様などの情報は、原則として公開時のものとなるため、現在の仕様や価格、情報とは異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

特集・連載「定番の教科書」の最新記事

日本が世界に誇る鞄メーカーは、いかに生まれ、いかに成長したのか?-「吉田カバン」の教科書

Begin Recommend

facebook facebook WEAR_ロゴ