ずっと使い続けたい! アメリカの「道具」 vol.1
デニムに代表されるアメリカ生まれのアイテムって、もとは「道具」ってものが少なくありません。道具ゆえの機能性に、アメリカな「匂い」のあるデザインを持つこれらは、時を経てファッションの定番や、日用品として今では生活を楽しく彩る「道具」にもなっているってわけです。当特集では、そんな昔も今もそしてこれからも使いたい「道具」を、その変遷とともにご紹介していきます!
1890年生まれ
501こそ元祖「道具からファッションへ」だった
1890年の復刻 501
リーバイス ビンテージ クロージングの501XX〝1890〞
501の品番が使われ始めた1890年当時の姿を復刻
当時はサスペンダー着用だったため、まだベルトループがないのが特徴。また今やライトの部類だが、当時としては最重厚な9オンスのデニムを採用している。米国製。
最新の501
リーバイスの501 CT〝メイド・イン・USA〞
ファッションとしての最旬フィットにカスタム
品名のCTとはカスタマイズ&テーパードの意で、その名の通り今どきのスリムテーパードにあつらえた最旬の501。コーンミルズ製デニムを使用。米国製。
History
どんな道具だった?
元々は金鉱労働者のために生まれた
金鉱や炭鉱の労働者は、タフな仕事でパンツが擦り切れてしまうことから、作業時には丈夫なオーバーパンツを着用していた。そのパンツはデニム地で作られており、なかでも支持を集めたのがリーバイス社の製品だった。
道具→ファッションのきっかけはマーロン・ブランド
映画『THE WILD ONE』で主演したマーロン・ブランドは、黒のレザーライダースにエンジニアブーツ、そして501という格好だった。この不良の出で立ちに往時の若者がシビレた。
道具を追求し考案された服飾界一の発明品
ゴールドラッシュに沸くアメリカ。タフな採掘現場で働く男たちは作業時に穿くオーバーパンツを必要としていた。そこで考案されたのが、丈夫なデニム地で作られたジーンズだった……。
あまりにも有名なリーバイス 501の誕生ヒストリー。アメカジを代表するこのアイテムの背景を紐解くと、実にいろいろなことが見えてきます。生まれたきっかけは冒頭の通り、採掘現場で働く作業員のための〝道具〞として。ですが、そんな〝道具〞に変化が訪れます。きっかけは’50年代。ハリウッドスターが映画のなかで501を着用すると、ジーンズがファッションとして広まることに。
その後、’60年代はモッズやヒッピー、’70年代はパンクと、それぞれのムーブメントで501は使われてきました。そして日本でも’90年代前後に起こったアメカジの爆発的なブームにより、501は着こなしに欠かせないものに。以来、ファッションになくてはならない大定番アイテムの名をほしいままにし、また昨今ではアメカジ復権な機運もあり、この501にも注目が集まっています。
このように、道具として生まれたアメリカ製品がファッションに昇華した例は枚挙にいとまがありません。こと501においては、品番=道具としての通り名が商品名として定着している、その事実が「道具からファッションになった」という何よりの証明なのです。
1914年生まれ
〝森の住人〞から〝街の住人〞まで100年愛されるマッキノークルーザー
フィルソンのマッキノークルーザー
粗野感と上品さの塩梅が絶妙
厚手のウールを縮絨させて防寒力を高めたジャケット。前身頃にはフラップポケットが4つも備わる。赤×黒のチェックは、野生動物との混同により誤射されるのを防ぐためだ。
History
どんな道具だった?
森林作業員のユニフォーム
1914年、ゴールドラッシュが終焉したアメリカにおいて、フィルソンの創業者、クリトン・C・フィルソンは森林産業のためのウール製ジャケットで特許を取得(上は当時のカタログ)。以後100年超、基本的なデザインは何一つ変わっていない。
1970年代の「Mede in U.S.A catalog」でファッションとして認知
米国の定番モノを日本に紹介した伝説の雑誌「Made in U.S.A catalog」。ここで紹介されたことがきっかけで服好きの目に留まった。
1958年生まれ
宇宙飛行士もタクシードライバーも皆オリジナルパイロットが大好きだった
アメリカンオプティカルのオリジナルパイロット
すべての作りはパイロットのため
スチール製フレームやリムレスフレームなどを世に広めた、現存する世界最古の眼鏡メーカーが米空軍の依頼を受けて開発したのがこちら。全体的に平板なデザインはヘルメット着用時に邪魔にならぬようにとの配慮ゆえだ。
ヘルメットを被っても邪魔にならないストレートテンプル
History
どんな道具だった?
アメリカ空軍の目の盾となった
19世紀から続く最古の眼鏡メーカーが開発した米空軍のパイロット用サングラスで、’58年から空軍に採用された。当時のモデル名「フライトゴーグル58」は「オリジナルパイロット」と名を変え、現在も生産されている。
『タクシードライバー』でロバート・デ・ニーロが愛用し、人気に
終盤でのロバート・デ・ニーロの出で立ちは今見てもカッコよすぎ。1976年公開の本作でアウトローに惹かれた人も多いのでは。
アームストロング船長とともに月へも!
紫外線対策でサングラスを着用していたアポロ11号のアームストロング船長。写真を見ると、そのサングラスはまさしく本モデル!
『タクシードライバー』のトラヴィスも、『金狼』の朝倉も。ザッツ〝アウトロー〞
M-65を身にまとい、モヒカン頭にサングラス。そのアウトローな不良スタイルにシビレました。全世界に衝撃を与えた1976年のアメリカ映画『タクシードライバー』のデ・ニーロのスタイルが、アメリカンオプティカルのパイロットグラスをアウトローファッションのアイコンに押し上げた最大の要因。
日本では『蘇える金狼』で故・松田優作が掛けてましたっけ。存在感のあるそのデザインは、パイロットのヘルメット着用の妨げにならないための形状であったとか。必然が生み出したこのデザインは、偶然にも日米の名優を惹きつけ、そしてサングラスがファッションアイテムとして欠かせない存在となった現在もなお、男たちを惹きつけてやまないのです。
1948年生まれ
レストランを彩る
ヒースセラミックスのラージマグと
1942年生まれ
ファイヤーキングのジェダイ
が〝飾れるマグ〞の2大巨頭に
ヒースセラミックスのラージマグ
マットな色が唯一無二
光沢のないつるっとした独特の質感と、丸みを帯びたフォルムが特徴。マグには一回り大きいサイズもある。当然ながら今でもメイド・イン・USAだ。
History
どんな道具だった?
ミッドセンチュリー人気とともに評価UP
1940年代後期に設立されたサンフランシスコ近郊の陶器メーカー。マットな釉薬、優しいフォルム、くすんだ感じの微妙な色合いがデザインの特徴。これらはすべて昔ながらの製法で、職人の手作業によるものだ。
ファイヤーキングのジェダイ
人気No.1カラー
ミルクガラスで作られており、翡翠石(ジェダイト)によく似た色のためこの呼び名に。今日では製法を受け継ぐ日本の工場にて復刻されている。「エクストラヘビーマグ」。
History
どんな道具だった?
業務用として飲食店に納入
ガラス製品を手掛ける米国のアンカーホーキング社が1942~1976年に製造していたテーブルウェアブランド。耐熱性に優れ、丈夫で実用的というアメリカらしい商品だった。半透明の翡翠色であるジェダイカラーはあまりにも有名。
飾ってイバれる2大巨頭
アメリカの飲食店で愛される道具の中には、インテリアとしても外せないものがあります。それがこの2社です。
ファイヤーキングは業務用、大量生産品として生まれた味が魅力。ルート66的アメリカ文化の憧れアイテムとして生産終了後も人気を集め、現在は日本で復刻品が作られるまでに。
かたやヒースセラミックスもまた、’90年代末のミッドセンチュリー再評価や昨今のカリフォルニアカルチャーの人気など、折に触れ注目される陶器メーカー。米西海岸のセンスのいい飲食店でここのマグやプレートを見かけることは少なくありません。これらのテーブルウェアはしまわずに飾っておきたいほどです。
1917年生まれ
バスケットボールのために生まれ、コーラとともに世界へ。今も愛され続けるキャンバス オールスター
コンバースのオールスター
総売り上げは世界累計10億足!?
冬向けのラバーソールシューズ製造を生業にしていたコンバース社が、冬季以外の売り上げのためにと開発したバスケットシューズ。当時としては厚底のアウトソールはグリップ力が高かった。
History
どんな道具だった?
プロバスケ選手の足首を保護した
今日のバッシュからは想像がつかないかもしれないが、オールスターは当初、バスケット専用のシューズとして登場した。往時の名選手チャールズ・H・テイラー氏(上)は現役時代を通じて本シューズを愛用していた。
プロ競技用シューズが街に出て超ワールドクラスの活躍
1960年代。経済成長を続ける強いアメリカの製品は世界中の憧れの的でした。例えばコカ・コーラ。アメリカを象徴する炭酸飲料は、明るくて祝祭的なイメージとともに世界各地へと広まります。同様にコンバースのオールスターもアメリカらしさの代表として世界へ渡ったのです。また、米国内でも映画『ウエスト・サイドストーリー』や『ロッキー』などでこの靴が使われるなど、ファッションシーンへシェアを拡大。現在に至ります。
実際、今なお人気継続中のスニーカーのなかにあってもコンバースのオールスターは特に元気。確かに現在、プロバスケ選手が履くには現実感がありませんが、反面シンプルさが生み出す存在感は唯一無二。ベーシックやシックが気分の今、コンバースのオールスターはお洒落好きの足元を飾る大事な相棒であることは間違いありません。
1985年生まれ
今、着こなしの表舞台に出るスナップTは山での名脇役だった
パタゴニアのダウン・スナップT・プルオーバー
30周年記念モデルが登場中
スナップボタン留めのT字状ネックデザインはそのまま、ダウンへと素材を替えたスペシャルモデル。ロゴは本ライン専用の限定ロゴとなる。
History
どんな道具だった?
ウールに代わる新素材
石油由来の化学繊維を表す〝シンセティック〞と南米の山岳地帯に住む動物〝シンチラ〞の造語を名前とした素材シンチラ・フリース。この素材で作られたのがレイヤード着であるTネック形状のウェアだった。
ウール防寒着より軽くて楽チン
写真のように雪山でも大活躍。それまでのウールよりも軽く、暖かく気持ちのいい中間着だった。1989年には胸ポケに落下防止のスナップ留めフラップが追加され、今日に至るまでこれが本商品の顔的デザインとなっている。
中間着から主役へと昇格
今から30年前、山では誰もがアウターの下にウールを着込んでいました。しかしウールは濡れに弱く、重いなどの弱点が。そこでパタゴニアの創業者イヴォン氏が世界初のシンチラ・フリース製ウェアを生み出します。
それがスナップTの始まり。軽くて速乾性の高いフリースは、山行中は主にシェルの下に着込む中間着として活躍しました。これが’90年代に入ると、ビームスなどファッション業界の面々が街着として着用するようになります。ポイントは商品最大の特徴であるプルオーバーのスナップ留めボタンと、フラップ付きのポケット。アウトドアブームに乗り、街着の主役アイテムへと躍り出たのです。
1896年生まれ
カウボーイの腹を満たしたダッチオーブンはスローフードとともにキッチンへ
ロッジのダッチオーブン
家で使いやすい小ダッチ
家庭用ガスレンジへの収まりを考慮した1クォートサイズ。ホットデザートのレシピなどに応用できる大きさだ。「ロジック サービングポット 1qt」。内径約15.5㎝、深さ約6㎝。重さ1.9㎏。
History
どんな道具だった?
西部開拓時代の旅のお供の万能調理器具
テネシー州にてジョセフ・ロッジ氏の手により誕生。焼く、蒸す、ボイルなどをこなす鋳鉄製の万能鍋だ。もっともその原型はそれ以前、アメリカ西部開拓時代にオランダ人が持ち込んだとされる。ファストフードのカウンターで見直される。
家庭用は脚ナシに
キャンプ用モデルは、地面に直置きした際にクリアランスがとれるように〝脚〞が備わるが、キッチン用ではその脚を省略。オーブンにそのままインして調理しやすい。
ファストフードのカウンターで見直される
西部開拓時代カウボーイたちが持ち運んでいた調理器具ダッチオーブン。焚き火にかけながら男料理が作れる鋳鉄鍋は重宝されました。その鍋が一般家庭に浸透したのはイタリア発スローフードのムーブメントが起こった’80年代後半のこと。ダッチオーブンのレシピが見直されたことがきっかけでした。日本でも’90年代に輸入され市民権を獲得。今ではキッチンにあるだけで料理が「3割上手く見える(かも)」な道具として愛されています。
1952年生まれ
登山家から絶大な支持を得るケルティパックが街でも愛されるパックに
ケルティのケルティパック
エベレスト登山隊も愛用
フレームパックは重い荷物を携行する移動用。デイパックは山では第二のパックであり、最終段階で頂上へ挑むときに使用したアタッキングザックが原型だ。
History
どんな道具だった?
登山史上に輝く発明
1952年、ディック・ケルティ氏が自宅で作り上げたのは、丈夫なアルミ製フレームにくくりつけられたナイロン製のバッグ。世界で初めてバックパックというものが誕生した瞬間だ。
ヒッピー・ブームの牽引役に
1960年代末のヒッピー・ムーブメント。野外フェスに集った若者たちから、自由と平和に根差した余暇としてアウトドアが広がった。
挑戦・克服するものではなく山に親しむという姿勢
アメリカが世に広めたものの一つに〝バックパッキングカルチャー〞があります。そしてケルティもその広がりに大きく貢献した「道具」でした。
当初は山を登るプロたちに愛されたケルティのパック。しかしベトナム戦争のカウンターから始まったヒッピー・ムーブメントと、そこで中心的な役割を果たしたウッドストックの野外フェスにより、バックパッカーやデイパックを背負うライフスタイルが若者に浸透。そこで中心的な役割を果たしたのがケルティのパックでした。そしてデイパが人気となっている今、ケルティのパックは、ファッションアイテムとしても注目を浴びています。
2007年生まれ
南極観測隊もセレクトショップも虜にしたヌプシブーティー
ザ・ノース・フェイスのヌプシブーティー
滑りにくいアウトソールがキモ
上で紹介した南極観測隊員用ブーツを一般販売するにあたって、アウトソールに滑りにくいラバーを装備。野外や舗装路の多い街でも安心して歩けるように。
History
どんな道具だった?
原型は雪山でのテントシューズ
雪中キャンプでは足元にも保温が必要。そのためダウン製のブーティがーテント泊用シューズとして広まった。が、ヌプシブーティーほど靴底がしっかりしていなかったため、テント外の歩行には適さなかった。
1941生まれ
違いのわかる男を生み出し続けるフラスコ生まれのコーヒーメーカー
ケメックスのコーヒーメーカー
MoMAに永久展示されている美道具
持ちやすさ&遮熱性を考慮してあしらわれた木製パーツがアクセント。写真はマシンメイド量産バージョンの3カップ用で、他に6 カップ用もある。ウッドハンドル( 3カップ用)。
History
どんな道具だった?
フラスコ生まれのコーヒーメーカー
考案者ピーター・シュラムボーム氏は、前々から実験室に転がっているフラスコをコーヒーメーカーの代用として日常的に使用していた。その裏技をきっかけに、より実用的に形作ったものがケメックスなのだ。
実験室生まれ、ミッドセンチュリー育ち
ケメックスは実験室生まれ。科学研究者がものぐさ?のためコーヒーを淹れるのに使っていたフラスコ、それを実際に専用のコーヒーメーカーとして作ってしまったことがきっかけ。「合理性」「アイデア商品」といったキーワードを持つ発明品が成功した、アメリカらしいエピソードといえます。
往時から大ヒットでしたが、ケメックスもまた前ページのマグ同様、ミッドセンチュリーブーム時に大きく再評価(イームズ夫妻も愛用していた!)。ブルーボトルコーヒーに代表される、サードウェーブコーヒーブームが華やかなりし現在、見て、使って、味わって楽しめるケメックスのコーヒーメーカーがますます人気になっています。
1968年生まれ
宇宙に行ったスペースペンでオフィスに彩りも加えられる
フィッシャー スペースペンのキャップアクション
ポップな見た目の実力者
窒素を充填した加圧インクカートリッジを用いることで、無重力空間や水中でも、濡れた紙や脂で汚れた紙でも、はたまたどんな角度でも、おまけに非常に幅広い範囲の温度状況下で「書く」ことができる。
History
どんな道具だった?
「宇宙で書く」ために誕生
ボールペンは無重力では使用できないという事実に直面したNASA。しかしこの製品はNASAが開発したものではなく、実業家ポール・フィッシャー氏が開発に成功し、NASAが採用に至ったものだ。
オフィスのお洒落道具は宇宙開発から生まれた
オフィスのデスクって無機質になりがち。パソコンや書類など色みのないものが多いのですから、考えれば当たり前かも。でもそれじゃ気分はアガりませんよね。だったらフィッシャー スペースペンの中でもポップなカラーが用意されているこちらを飾ってデスクを彩ってみては? このキャップアクションは、アメリカ道具らしい気取らないお洒落さがナイスな塩梅の文房具。もちろん「道具」としても優秀。フィッシャー スペースペンの名からもわかるように、無重力空間でもインクが出るという同社ならではの窒素リフィルを採用しているのです。つまり実力も申し分ナシ。気分をアゲて仕事をするための秘密兵器としてご活用ください。
[ビギン2015年12月号の記事を再構成]
価格は当時のものです。
写真/上野 敦(プルミエジュアン) 文/星野勘太郎 礒村真介 安岡将文 黒澤正人 スタイリング/佐々木 誠 イラスト/植竹マッカーサー TAMRART