「昭和歌謡」を語らう濃ゆすぎる座談会! 令和にも共通する不変の魅力とは?
まだ知らない昭和の名曲がズラリ!
改めて昭和歌謡って何だ?
昭和歌謡に詳しい識者による、濃ゆすぎる座談会をお届け! 80年代アイドルやシティポップをかじったくらいで昭和歌謡をわかった気になってる人は、これを読んで新たな扉をあけてくださいませ♪
昭和歌謡好きが豪華に大集合〜!
(左から)刑部芳則さん 町あかりさん タブレット純さん [司会]平山 雄さん
ムード歌謡とGSに救われました
タレント タブレット純さん
昭和49年生まれ。27歳のときに「和田弘とマヒナスターズ」にボーカルとして加入。グループ解散後、歌手や芸人として活躍し、「ムード歌謡漫談」という新ジャンルを確立。
懐メロ番組で扉が開いた!
日本大学 商学部教授 刑部芳則さん
昭和52年生まれ。専攻する日本近現代史関連の著書が多数あり、最近刊行された『昭和歌謡史』(中公新書)では、作詞家、作曲家、歌手らが残した膨大な資料を用いて昭和歌謡を実証的に考察。
自ら昭和歌謡のカバーも!
シンガーソングライター 町あかりさん
平成3年生まれ。「ア、町あかり」でメジャーデビュー後、アルバム計8枚、シングルを多数発表。『町あかりの昭和歌謡曲ガイド』(青土社)など著書も多数。連載漫画も好評。
昭和連載でおなじみ
平山 雄さん
昭和43年生まれ。古物商として働きながら、家中をレトロな昭和アイテムで埋め尽くす“昭和ぐらし”を謳歌する方。著書は『昭和ぐらしで令和を生きる』(303BOOKS)など。
中古レコード屋は貴重な情報収集の場
平山:本日司会を担当する平山です。どうぞよろしくお願いします。まずお聞きしたいのが、皆さんが古い昭和の歌にのめり込んだきっかけ。私はロックやソウルにハマった時期もありましたが、なんだかんだ昭和歌謡は子供の頃から聴いているクチです。皆さんもブームになる以前から一貫して昭和歌謡を愛されていますよね。
刑部:私の場合はテレビの懐メロ番組で観た東海林太郎です。燕尾服を着て直立不動で朗々と歌い上げる。それまで観ていた歌手と全く違う歌い方に衝撃を受け、彼をきっかけにどんどん時代を遡ったんです。最初は古賀政男や東海林太郎の全曲集、日本の軍歌集などをCDで買っていたのですが、高校のときにCDで出ているものは聴き尽くしてしまい、蓄音機を買ってSPレコード(※1)を集めるようになりました。
レコードが家庭の娯楽の中心だった
昭和30年代ぐらいから一般家庭でも徐々にレコードが聴かれるようになり、昭和50年代には簡易なプレーヤーやラジカセならどの家にもある状況に。だが平成になってCDが一気に主流となり、レコード、カセット文化は急激に衰退していったのだ。
平山:すごい深いところまで行ってしまったんですね。タブレットさんは?
タブレット:小さい頃に家族でドライブに出かけると、父がクルマの中で水原 弘(※2)のカセットをよくかけていたんです。亡くなる直前に録音したものらしく、うめくようなドロドロしたような歌声を、暗いなーと思う一方、凄いなとも感じ、家でもこっそり聴くようになりまして。聖子ちゃんや明菜ちゃんより自分にフィットしているなと。そのあたりから性格が歪んでいたんでしょうね(笑)。その後、小椋佳や、森田公一とトップギャランなど、10歳にして過ぎ去った青春を悔やむような曲を好んで聴き、いつしかムード歌謡やGS(※3)の魅力に目覚めた感じです。
平山:町さんはいかがです?
町:私は平成3年生まれですが、小さい頃に周りの友達が聴いていたハロプロや浜崎あゆみとかがピンと来なかったんです。音楽が嫌いなんだと思っていたんですが、中学でサザンオールスターズをテレビで観て、いっぺんにハマって。昔の歌謡曲に近い要素もあって、聴きやすかったんですね。
タブレット:桑田さんはムード歌謡も好きですからね。
町: それでサザンと近い世代の音楽を探していたらキャンディーズと出会い、可愛いらしさとキャッチーさにメロメロに。彼女たちが昭和歌謡のくくりに居るのなら、そこを取っ掛かりにすれば自分の好きな音楽に出会えるかもと、ひとつの検索ワードをゲットした感じでした。
平山:町さんの年代だとインターネットがありますから、古い歌の情報収集が比較的ラクだと思うのですが、他のお二方の若い頃は苦労されたのでは。
ネットがあるから今は楽ですよね
タブレット:小学生のときは周りにムード歌謡やGSが好きな人がいるわけがなく、自分をとてつもない変態だと思っていました。だから情報収集はコソコソ中古レコード屋に通うしかなかった。あと中二の時にGSの研究家の黒沢 進さんという方と文通を始めて。中学生とバレると気持ち悪がられると思い、偽名を用い、年齢も50代と偽って(笑)。黒沢さんからは随分カセットを送っていただきました。あの頃は黒沢さんの手紙が生きがいでした。
刑部:私も基本は中古レコード屋さんですね。また資料の収集としては、国会図書館などで当時の新聞や雑誌をコピーしたりしています。じつは戦前も音楽情報誌のようなものが発行されていて、そういう貴重な資料を読み解いて知識を増やしていった感じです。
平山:刑部さんの著書『昭和歌謡史』は、そんなふうにして書かれているから情報量が半端ないんですね。
タブレット:ネットにはない情報がいっぱいで、とても勉強になります。
刑部:ありがとうございます。
演歌もフォークも昭和歌謡でくくれる?
平山:ここで根源的な話題に戻してもいいですか。今回の座談のテーマである昭和歌謡ですが、じつは人によって捉え方がさまざまで。明確な定義ってあるんでしょうか。
町:私はシンプルに昭和時代に生まれた曲のことだと考えていますけれど。
平山:じつは私もそうで、昭和時代に生まれた歌。その中でも誰でも自然と口ずさめる曲というか、生活に密着した曲というイメージですが。
タブレット:ちょっと難しいですよね。例えばGSや演歌などは昭和歌謡じゃないという人もいますし、歌謡曲=流行歌と考えると、やっぱりあれらも昭和歌謡なのかなと。ただ曖昧模糊な感じがするので、自分としては昭和歌謡という言葉はあまり好きではなくて。
刑部:タブレットさんがおっしゃった通り、歌謡曲とは流行歌。昭和歌謡は、古賀政男、古関裕而、服部良一などの偉大な作曲家たちが和洋折衷で作った昭和初期の流行歌から出発しているんです。つまりそれらが親。演歌もフォークもニューミュージックも、その子供たちなんです。違うサウンドに聞こえるのは、親に反抗しているから。
平山:なるほど反抗期なわけですか。
刑部:親のような定型的なサウンドはつまらないと新しいことをやったわけですが、いま一周回って聴いてみると、そうした曲にも歌謡曲、つまり親の血が脈々と流れていることがわかる。
町:なるほど、なるほど。
刑部:どんなに枝葉に分かれても、昭和の終わりまでの曲は、シティポップも含め、どこか歌謡曲の要素が入っているんです。一方、平成に入って生まれたJ-POPは、歌謡曲をドライに否定する形で生まれているので、全くその匂いがしない。そこが大きく違う。
時代が移り変わろうとも根っこの感覚はじつは不変
タブレット:いまの若い人たちが歌謡曲にハマるのは、結局日本人の血には抗えないということかもしれませんね。
刑部:私の学生たちに昭和の歌を聴いてもらうと、藤山一郎はいつも一番人気です。声と軽快なリズムが好評で。戦前期の若者と令和6年の若者が、じつは好みや感覚が共通するところもあるんです。
町:へえ〜。でもなんとなくわかる感じがします。今の若い人が昭和の歌を聴くとなると、80年代アイドルやシティポップあたりが取っ掛かりだと思うんです。それも正解なんですけれど、いろいろ遡るといいよと言いたい!
平山:今回は皆さんにイチオシの昭和歌謡レコードをお持ちいただきました。刑部さんは昭和初期から昭和20年代までの貴重なSP盤ばかりですね。
刑部:この中では、美ち奴の「あゝそれなのに」も今の学生に聞かせると人気です。ちなみに本日は惜しくも持って来れなかったんですが、楠木繁夫の「緑の地平線」という曲がありまして、これこそ日本人の聴覚を変えたと僕は思っているんです。フォックス・トロットで、ノリやすいけども哀愁もある。中森明菜さんあたりまでこの風潮が続いていると私は思っているんですね。
タブレット:な〜ぜか〜忘れぬ〜♪ (と「緑の地平線」を即興で歌う)
町:わ〜贅沢♡
プロに生で歌っていただけるとは感動です!
刑部:おっ、町さん選出のザ・チェリーズって、NHKの番組で生まれたユニットですよね。キャンディーズの後追いグループで。
タブレット:こっちの秋川淳子の「南南西(※5)」もいいですよ。けっこう王道のアイドル曲ですよね。
町:私はこの中では最初に買った岩崎宏美さんの「未来」が一番好きです。
刑部:タブレットさんはGSやムード歌謡の名曲ばかりと思いきや、だいぶマニアックな「海の底でうたう唄」が入っていますね。たしかラジオの深夜番組から生まれた曲。
タブレット:そうです。DJ3人組が歌ってるんです。タイトル通り海の底で歌ってる感じがいいんです。
町:うわー聴いてみたい。
平山:詳しい解説は皆さんのコメントを読んでもらうことにして、見事に皆さんバラバラの年代の盤を持ってきたところが、昭和歌謡の奥深さを示しているように思います。私のような昭和好きには、改めて掘りがいのある大金脈と感じたことでしょう。本日はどうもありがとうございました。
刑部さんが選ぶ昭和歌謡ベスト
今の学生にも人気! な藤山一郎(※4)の「青い山脈」(昭和24年)※下段右
小唄勝太郎の明日はお立ちか」(昭和17年)※上段左/藤山一郎の「夢淡き東京」(昭和22年)※上段右/霧島 昇とミス・コロムビアの「旅の夜風」(昭和13年)※下段左/美ち奴の「あゝそれなのに」(昭和11年)※下段真ん中
「青い山脈」は、授業で学生にアンケートを取っても、いつも昭和歌謡の1位に輝く。「夢淡き東京」も軽快な曲調で誰もが耳馴染みがいいはず。逆に言えばこの2曲が苦手なら、この時代の曲はお口に合わないかもしれません。「明日はお立ちか」を歌っていた小唄勝太郎さんは、芸者歌手の一時代を築いた方で、私は高校の時、彼女のブロマイドを生徒手帳に挟んでいました。
町あかりさんの昭和歌謡ベスト
外せない永遠のアイドル♡松田聖子の「夏の扉」(昭和56年)※下段真ん中
秋ひとみの「哀愁BOY」(昭和55年)※上段左/片平なぎさの「オリーブの華麗な青春」(昭和51年)※上段真ん中/ザ・チェリーズの「? Question」(昭和55年)※上段右/秋川淳子の「南南西」(昭和53年)※下段左/岩崎宏美の「未来」(昭和51年)※下段右
CDを買ってiPodに取り込む世代なので、レコードは音源として手に入れにくいものを中心に集めています。ここでは「夏の扉」をあげましたが、聖子ちゃんは「青い珊瑚礁」もいい。何かこれから新しい時代が始まるという感じして。岩崎宏美さんの「未来」は私が初めて買ったレコード。筒美京平先生による、これぞ昭和ディスコ! みたいな曲調がとてもカッコよいですよ。
タブレット純さんの昭和歌謡ベスト
沢田研二らが所属した
ザ・タイガースの「銀河のロマンス/花の首飾り」(昭和43年)※下段真ん中
松尾和子、和田弘とマヒナスターズの「銀座ブルース」(昭和41年)※上段左/GAROの「学生街の喫茶店」(昭和47年)※上段右/モコ・ビーバー・オリーブ(※6)の「海の底でうたう唄」(昭和44年)※下段左/鶴岡雅義と東京ロマンチカの「君は心の妻だから」(昭和44年)※下段右
「君は心の妻だから」は小5で買った最初のレコード。鶴岡先生は古賀先生の弟子だから、ラテンなところがあって好き。「銀座ブルース」もジャジーというか、和洋折衷の良さがある。マヒナはやっぱりムード歌謡の代表格です。「花の首飾り」はGSにハマるきっかけの曲。ロック志向の本人たちは、なんで王子様みたいな服着てこんな歌を、なんて思っていたでしょうが。
「タイプでした(照)」(タブレット純)
★3名が選んだ昭和歌謡ベストのどれかがレコード化決定!詳細は近日公開!!
昭和歌謡に欠かせない3大偉人
流行歌を数多く生み出した天才肌
古賀政男
誰に教わることなく楽器を弾きこなし、独自の感性で、哀感溢れる日本的な旋律の「古賀メロディー」を確立した流行歌作りの天才。
朝ドラでもおなじみの作曲家
古関裕而
クラシック音楽に造詣が深く、格調高く美しいメロディーが得意だが、民謡や小唄調の曲も多く輩出。NHK朝ドラ「エール」のモデル。
ジャズ育ちの和製ポップスの祖
服部良一
ジャズに親しみ、ブルースやブキウギなどの名曲も多く発表。演歌とは対極的な歌謡曲を生み続けた和製ポップスの原点的な存在だ。
※1 SPレコード:1940年代後半にLP盤が登場するまで主流だった、シェラックという天然樹脂を用いたレコード盤。現在再生産することができないため、現存するSP盤は貴重。
※2 水原 弘(昭和10年ー昭和53年):「おミズ」という愛称で親しまれた歌手、俳優。井上ひろし、かまやつひろしとのトリオで「三人ひろし」とも呼ばれていた。
※3 GS:「グループ・サウンズ」の略称。ギターやベースなどを中心に複数人で編成し歌うグループを指し、ビートルズやローリング・ストーンズなどを皮切りに1960年代後半にヒットした。
※4 藤山一郎(明治44年ー平成5年):作曲、編曲、指揮も務めた歌手。本名の増永丈夫名義ではバリトン歌手としても活躍し、平成4年にスポーツ選手以外では初の国民栄誉賞を受賞。
※5 「南南西」:秋川淳子のデビュー曲で、高田みづえの1stアルバム「オリジナル・ファースト」(昭和52年)に収録されている同名曲のカバー。
※6 モコ・ビーバー・オリーブ:平凡パンチがスポンサーのニッポン放送「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」から派生した高橋基子(モコ)、川口まさみ(ビーバー)、シリア・ポール(オリーブ)の3人組。
※表示価格は税込み
[ビギン2025年2月号の記事を再構成]スタッフクレジットは本誌をご覧ください。