特集・連載
2000年代コラム:番外編
華の’90sから一変! 暗黒時代にアツ~く沸いた2000年代スニーカー7大事件簿
傑作スニーカーの超現代ヒストリー '90s~2010年代編 1900年代から始めるのがスニーカー史のセオリーですが、今回は雑誌ビギン創刊の1988年を起点に超現代をフィーチャー! この記事は特集・連載「傑作スニーカーの超現代ヒストリー ’90s~2010年代編」#08です。
1995年のハイテクスニーカーブームと対極に、暗黒時代として語られがちな2000年代初頭。ですが、少年漫画の修業パートの如くその後の重要になる事件が多発していたんです!
[事件1]ナイキが技術開発で世界をリード!
【2000年】シドニー五輪で高橋尚子が金メダル
【2000年~】速さを求めスニーカーがさらに進化!
シドニー五輪が開催された2000年、ナイキがゴム紐を編み込んだ「エア ウーブン」。くるぶし部の切れ込み「Vノッチ」により、広いサイズレンジに対応可能とした「エアプレスト」を発表。2005年末には、悲願であった360度ビジブルエアを実現するなど、アッパーとソールにおける、さらなる技術開発のはじまりを予感させた。
アッパーの進化
a.ナイキ エア ウーブン b. ナイキ エア プレスト
a、bともに軽量で伸縮性の高いアッパーを採用。この技術が後のフライニットに繋がる
ソールの進化
c.ナイキ フリーソール d. ナイキ エア マックス360
cのソールの深い切れ込み、dの360度ビジブルエアなど斬新な手法で技術開発を進めた。
【2000年後半~】トレイル“ランニング”も徐々に広まる
トレランシューズの先駆けが最軽量モデルに進化
montrail[モントレイル]
F.K.Tライト
2005年のトレランブームの際、欧州限定で展開された傑作「フェニックス」の系譜を継ぐ最軽量モデル。1万4850円(コロンビアスポーツウェアジャパン)
GORE-TEXを初搭載した名作モデルが復刻
inov-8[イノヴェイト]
フライロック 345 GTX CD
2006年に登場した同社初のゴアテックス搭載モデルの復刻版。“岩を跳ぶように走る”イメージがその名の由来だ。2万4200円(デサント トウキョウ)
「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」でトレイルランナーの鏑木 毅さんが3位になった’09年大会の模様を記録。トレランの人気を後押しした。
アンダーカバーやア べイシング エイプのルーツとなった裏原宿。表通りの裏に面し、賃料が安かったため、若いストリートブランドが育つ土壌となった。
[事件2]歌姫効果は絶大! MV着用でスニーカー女子激増!?
【2000年】宇多田ヒカルがエア ズーム ヘイブン着用
2000年にリリースした「Wait & Seeka~リスク」のMV
2000年からナイキはジュンヤワタナベ・コムデギャルソンとの取り組みをスタート。特にコラボモデルの「エア ズーム ヘイブン」のホワイトカラーは当時絶大な人気を誇った宇多田ヒカルがMVで着用。それが話題となり、スニーカーの女性人気を高めた。
[事件3]世界一入手困難なスニーカー誕生!?
【2002年】ナイキ SBとシュプリームがコラボ
ナイキ×シュプリーム第1弾は「エアジョーダン 3」をオマージュした「ダンク ロー プロ SB」。ナイキのSBラインは数量限定モデルが多く、数十万円まで価格が高騰することも。
[事件4]進化するヴィンテージが米国製マニアを魅了!
【2000年~】USA製品の買い占めが勃発
服が大量生産され始めたこの頃、老舗や職人による少数生産の価値が上昇。生産が終了した米国製ヴィンテージのコンバースなどの買い占めが起こった。
【2008年】「コンバース アディクト」を発表
CONVERSE ADDICT[コンバース アディクト]
チャックテイラー
コンバースは100周年を機に「コンバース アディクト」を発表。ヴィンテージを踏襲したルックスと最先端の履き心地で、米国製マニアの心まで動かした。
[事件5]イタリアンブームによりレザースニーカー爆売れ!
2000年初頭はイタリヤオヤジ、通称「イタオヤ」ブームにより、イタリアンレザースニーカーが爆売れ。その先駆けとなったのがサントーニのメンフィスだ。その後、頑靴王と呼ばれたシルバノ・ソリーニ氏が生み出した、シルバノマッツァなどを筆頭に人気を博した。
【1995年】サントーニ
【2000年】シルバノ マッツァ
[事件6]’60s~’70sのアメトラを新解釈した「ネオ・アメトラ」がブームに
【2008年】ニューバランスの「993」が発売
NEW BALANCE[ニューバランス]
M993
新しいアメトラスタイルはボトムスの裾をダブルで処理した、短い丈感が特徴。そこにボリュームのあるニューバランスがマッチ。エンジニアド ガーメンツ(EG)がコレクションで足元に「991」を採用したことも話題となり、「993」が発売されるとピッティ ウォモでも愛用者が続出した。
【2008年】鈴木大器が権威あるCFDAから表彰される
鈴木氏がEGのルックに採用し話題を呼んだ「M991」
ピッティ ウォモなどでの功績を称えられ、権威ある米ファッション協議会(CFDA)から、ベスト・ニュー・メンズウェアデザイナー・イン・アメリカをエンジニアド ガーメンツのデザイナー鈴木氏が日本人で初受賞した。
トム プラウンのコレクションの影響から、半端丈にボリュームのあるスニーカーを合わせるスタイルが2000年代後半の定番に。ニューバランスなどアメリカブランドが好まれた。
[事件7]ランウェイでスニーカーが百花繚乱!
【2002年】メゾン マルジェラがジャーマントレーナーを起用
独軍のトレーニングシューズ、「ジャーマントレーナー」。モードブランドが採用したことで、モードのカジュアル化がさらに進行。ファッションアイテムとしても注目を浴びた。
【2003年】プーマ×ミハラヤスヒロが人気を継続
2000年に発表され、ブランドの知名度を向上させたコラボ。’03年発表の第4弾では三原氏がすべてのデザインを担当。世界が認めたデザインとして、人気を不動のものとした。
※表示価格は税込み
[ビギン2022年2月号の記事を再構成]スタッフクレジットは本誌をご覧ください。