歴史から学ぶ……あなたの知らない チェック柄の世界

あなたの知らないチェック柄の世界(歴史編)

タータンチェックとバッファローチェックの違いを知ってる?

いわゆるドレス系では、昨年から英国調生地がトレンドになっていましたが、その流れがカジュアルにも波及した今季。まさにチェック祭りともいえるくらい、多くのブランドからさまざまなチェックが登場しています。そこで前編は知っているようで知らないチェックの歴史と種類について解説し、後編ではコーディネイトの法則について教えます。

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チェック、プラッド、タータン、どれが正解?

普段から何気なくチェックと総称している格子柄ですが、スーツ系雑誌などでは、プラッド(またはプレイド)と呼ばれています。特に北米では、チェックよりもプラッドと表記されることが多いのですが、専門書などを調べてみても、チェックとプラッドが併用されており、明確な違いはないようです。服飾事典によると、日本人は小さな格子柄をチェック、大きな格子柄をプラッドと区別して呼ぶ習慣があるそう。そこで、『タータンチェックの文化史』(奥田実紀著:白水社)を調べてみると、そこには意外な事実が記載されていたので、まずはここに紹介しましょう。

 

プラッドもタータンも元は綾織りのウール!

プラッド=Plaidという言葉には、格子柄という意味以外に、大判の布という意味があります。さらにスコットランド人が話すゲール語にも、同音の綴り違いでPlaideという言葉があり、こちらは毛布を意味します。また、タータンに当たるゲール語は存在せず、フランス語のティルタン、もしくはスペイン語のティレターニャが語源とする説が有力です。ともに布地の種類を示すものであり、柄とは関係がなかったとか。事実、1825年の織物業者の注文記録には”柄のない緑色のタータン”という記載があったそう。つまり、近代まではプラッドとタータンは混同されており、本来は”柄”を指す言葉ではなく”布の種類”を示す言葉で、それは綾織りのウール布のことだったのです。

 

地域に根ざしたディストリクト・タータン

とはいえ、タータンがスコットランドで発展した格子柄であることは間違いありません。現存する世界最古のタータンは、スコットランドのフォルカーク地方で出土した布切れで、西暦325年頃のものだそう。古代ローマの文献には、ブリテン島に住むケルト人が

色彩豊かな織物を身に着けていたという記述があり、それが現在のタータンらしきものであると考えられています。随筆家のマーティン・マーティンが1690年に記したところによると、「島ごとにプラッドの縞の太さや色の好みが異なる。着ているプラッドを一目見ただけで出身地を推測することができるほどである」とあります。このように土地ごとに異なるタータンを、“ディストリクト・タータン”と呼びます。

 

氏族を示すためのクラン・タータン

それまでケルト人たちはクラン(=氏族)と呼ばれる、血縁で結びついた一種の原始共同体を営んでいました。それが中世の封建制度の発展とともに、氏族よりも領主への忠誠と義務が重んじられるようになります。スコットランドも例外ではなく、借地人は名前に関係なく、領主に従うことが求められました。1703年、グラント領主が狩猟大会のために家臣たちを集めた際、同じ色のタータンを着ることを命じました。翌年、マクドナルドという名前(=クラン)の借地人全員に、赤とグレーで幅広の賽の目を配したタータンを着用させたのです。これが”クラン・タータン”の始まりです。

スコットランド併合とタータン受難の時代

ご存じの通り、イギリスという国は実際にはなく、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという、それぞれ異なる歴史を持った4つの国の連合です。特に王位を巡って激しく対立していたのが、イングランドとスコットランドでした。1707年に両国は合併し、グレート・ブリテン王国となるのですが、スコットランドには不満がくすぶり続けました。王位継承に対する考え方の違いとイングランドへの反感を持つジャコバイト(反政府派)が、度々武装蜂起する事態が起こります。

 

タータン禁止令による予想外な反作用

この度重なる衝突が頂点に達したのが、1745に起きたカロデン・ムーアの戦いでした。圧倒的な政府軍の武力に敗北したジャコバイトは、徹底的に弾圧・処刑されることに。その後、ジャコバイトが多かったスコットランド・ハイランド地方の民族衣装だったタータンの着用、クラン姓の使用が禁止されたのです。イングランド人からすると野蛮人とみなされていたスコットランド人のタータンは、軍隊と植民地の奴隷用衣装とされ、大量生産された(下記のタータンがその一例)のです。また、この敗戦を契機にアメリカやカナダへの移民となる者も少なくなく、皮肉にもタータンが海外へ広まるのです。

 

あのブラック・ウォッチ柄は軍用だった!

残党ジャコバイトの反乱を防ぐために組織された軍隊には、特別にタータンの着用が認められ(政府軍の中にはハイランド出身の部隊もあったから)、彼らが着用するタータンがブラック・ウォッチ=黒い見張り番と呼ばれるようになったのです。また、タータンを着用したスコットランド連隊は世界中に派遣され、見事な衣装と戦績によってその名を轟かせました。なかでもブラック・ウォッチの活躍は目覚ましく、過剰なまでに注目されたのです。

ブラック・ウォッチ

 

英国王がタータンを正式に認める

1822年、英国王ジョージ4世がエジンバラを訪問します。その式典を指導・演出したのが、クラン・タータンの保存を推し進めたデービッド・スチュアートと、スコットランドの文豪ウォルター・スコットでした。「各人ともタータンを着用せよ」との声明が発せられ、クラン・タータン確立の決定打となるのです。こうして英国王公認となったクラン・タータンは大流行。氏族とは関係のない営利目的のタータンが乱発されました。タータンは”創られた伝統”と見なす人が少なくないのは、こうした歴史があるからなのです。

 

タータンの主な種類とハウスチェック

現在は無数のタータンがありますが、先述の2種に付け加えるべきは下記の通り。王室専用のロイヤル・タータン、軍隊用のアーム・タータン、誰もが身に着けられるユニバーサル・タータン、企業や組織が用いるコーポレート・タータンに大別できます。1967年のパリコレでバーバリー・チェックの傘が発表されると、それ以降もさまざまなバリエーションを加えながら人気を博しました。こうした英国ブランドによるコーポレート・タータンはハウスチェックとも呼ばれ、世界中で愛されているのは周知の通りです。

ロイヤル・スチュアート・タータン

 

アーム・タータン

 

日本におけるチェックの歴史と人気

日本にタータンが持ち込まれたのは、英国でヴィクトリア女王がタータンを愛用して大流行となった明治時代。縞スコッチと呼ばれ、華族や高官の夫人や令嬢などに愛用されました。戦後の1960年頃、伊勢丹はショッピングバッグにタータン(アンシェント・マクミラン)を採用。1968年にはブラック・ウォッチを加えた2種のタータンが採用され、伊勢丹チェックとして親しまれています。これは、タータンチェックは上品で趣味がいいというイメージが浸透していたからでしょう。

 

アンシェント・マクミラン

 

タータンチェックとユースカルチャー

タータンは若者文化とも密接な関係があり、1978年にヴィヴィアン・ウェストウッドがパンクファッションに赤系のタータンを用いたことが特に有名です。

 

赤系のタータンチェック

同時期に活躍したエディンバラ出身のロックバンド、ベイ・シティ・ローラーズが日本で大人気に。彼らのステージ衣装であったタータンはファンのみならず、多くの若者に受け入れられたのです。こうした日本におけるタータン人気は、80年代から活躍した男性グループ、チェッカーズにも引き継がれ、アイドルの衣装=タータンという図式が定着化。最近でもAKB48のステージ衣装など、頻繁にタータンが用いられています。

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英国生まれのチェック柄たち

 

アメリカのチェック柄たち

 

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写真/若林武志 構成・文/川瀬拓郎 スタイリング/榎本匡寛