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ストリート特集 Vainl Archive ヴァイナルアーカイブ

ハイストリートだとか、モードとストリートの邂逅だとかいう言葉が飛び交う昨今において、上質なカジュアルは決して珍しいものではなくなりました。それでも、ヴァイナルアーカイブというブランドの立ち位置は他のどれとも違います。ある人はカルチャーの匂いを感じ、またある人は服飾としての完成度に惹かれて手を伸ばす、稀代のトーキョークロージング。そのルーツとは? 表現の源にあるスピリットとは? 長年ストリートに身を置いたからこそ見える、今の視点についてうかがいました。

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反骨心が導いた道程と、その先にあった洗練のカタチ
「Vainl Archive」

【about Vainl Archive】
ヴィンテージウェアや国内外のカルチャーシーンからの影響を受けつつ、名だたるメゾンにも劣らない上質な素材や洗練されたパターンが活きる、洗練された服づくりで支持されるアパレルレーベル。高感度なストリートヘッズから目の肥えたファッショニスタまで、愛用者の層が広いのはその証左で、つくり手自身が傾倒するアートや服飾以外の表現の世界とも親和しながら、メンズウェアの新たな可能性を提示し続けている。

ヴァイナルアーカイブ デザイナー 大北幸平

ヴァイナルアーカイブ デザイナー
大北幸平

1976年生まれ、東京都出身。今はなき原宿の名店、メイド・イン・ワールドのスタッフとして働く中で、自社ブランドのノットやストールなどを手掛けてデザイナーとしてのキャリアを積む。独立後の2009年に、ヴァイナルアーカイブを設立。現在はキュレーション・展示を行うストア兼ギャラリーのソルトアンドペッパーの運営、世界的アスレチックブランドの特別ライン、リーボックエイティワンのデザインとディレクションなど、独自のバランスで活動を続けている。

「10代の頃は上野のアメ横と千駄木ばっかり行ってた」

−−今日は少し昔話も絡めながら、大北さんの物づくりやビジョンについてお話をうかがえればと思っています。

大北:はい。よろしくお願いします。

−−まず、いわゆる“裏原”時代に大北さんが原宿でお店に立っていたことを知っている人は、ヴァイナルアーカイブのファンでもそこまで多くはないかもしれないですよね。

大北:そうですね。あの頃は、いろんなことが特殊でしたよね。(藤原)ヒロシさんやNIGO®さんがトップにいて、とにかく洋服が売れる時代だったな、って。

−−この“裏原”という文化をつくったのがまさにヒロシさんだったわけですが、大北さんはその言葉が生まれたときにはもう原宿にいらっしゃったんですか?

大北:ギリギリいなかったかなぁ。僕は葛飾区の出身で、その頃は10代だったんですけど、渋谷まで行かずに上野にばっかり行っていて。普段はアメ横とか千駄木の古着屋に行ったりしていて、原宿のほうは、たまにフリマがあるとき代々木公園に行くくらいでした。上野でひたすらジーパンとネルシャツを漁ってた記憶がありますね(笑)。

−−ストリートブランドでもコレクションブランドでもなく、古着がその頃は一番の関心事項だったんですね。少し意外です。

大北:その頃はオールドヴィンテージにしか興味がなかったんです。当時の僕にとっては(リーバイス)のファースト(506XX)とセカンド(507XX)が最高で、前Vのスウェット着て、キャントバステムとか(501)XXを穿いて、そこに(エア)ジョーダン1か(ナイキ)コルテッツか(ナイキ)ルビラージュを合わせるっていう。これが100点だったんです。ひたすらコンビニとかアメ横で数の子を売ったりとかで稼いでは買って、クロムハーツなんかにも手を出したけど、結局すぐに手放したりして、循環させてましたね。そうするうちに自分にとって大事なものだけが残っていった感じです。いまだにジッパーのXXとか、503Bは残してます。

−−すごい熱中ぶりですね。それだけに、今の大北さんにはブルーデニムのイメージがあまりないのが不思議です。

大北:似合わなかったんですよね、インディゴが。だから、手に入れたはいいものの、結局穿くのはチノパンとかばかりで。多分XXのテーパードが体型的に合わなかったのもあると思います。デニムはサイドのシルエットがしっくり来ないんだけど、スラックスタイプだと合うんです。そう考えると、コンプレックスはその頃から強かったのかもしれないです。

−−それは何に対してのコンプレックスですか?

大北:体型ですね。今もですがお尻がデカかったから、自分のシルエットを前面に出して服を着るよりは、昔からちょっとルーズに着ていたと思います。世の中的にはスウェットはビタビタに小さくて、ジーパンは大きめでそこにゴツめのレッドウィングとかっていうのが主流でしたけど、僕はそれが嫌だったのでブーツもゴリラとかチペワのスエードばかり履いてました。

「メイド・イン・ワールドには面白いブランドがたくさんあった」

ヴァイナルアーカイブ デザイナー 大北幸平

−−ここまでで、裏原宿感がほとんどないですね(笑)。

大北:そうですね。唯一あるとすれば、当時深夜のコンビニでバイトしていたときに出会ったのがメイド・イン時代の相方の大(健太郎)くんだったんですけど、彼がそのときグッドイナフのスタジャンを着ていて。彼はバンタンの学生をしながらメイド・イン・ワールドでバイトをしてたんです。その後僕は全然別の仕事に就くんですけど、そういうファッションとかおしゃれの世界にも憧れがあって、何度もお店に足を運んで、大くんにも上司の方に頼んでもらい、結局僕もメイド・イン・ワールドに入れてもらったんです。1年間通いました(笑)。

−−若さと時代を感じるエピソードですね(笑)。

大北:それくらいのパッションはあったんですよね。でもそれでグッドイナフが並ばずに買えるようになったり、シュプリームも最初に卸しが始まったのはメイド・イン・ワールドだったりで、とにかく面白かったです。その頃UKブランドで、サイラスの前身でもあるホームズがすごく好きだったけどお店では全然売れなかったのを覚えてます(笑)。サキャスティック、コアファイター、テンダーロインとか、当時のメイド・インには面白いブランドがいっぱいありましたね。

−−ストリートブランドに囲まれるようになって、大北さんもやっぱりそういうものを着られるようになったんですか?

大北:いえ、着なかったんですよ。収集癖が強かったからグッドイナフとかシュプリームとかも買うんですけど、着てなくて。どうもあの頃、ストリートでみんなが好きなものがどうしても自分の中ではピンと来ないところがあったんですよね。変な天邪鬼もありましたね(笑)。だけどサイラスが人気になって、雑誌の『リラックス』が出てくるとジェームス(・ジャーヴィス)とかが取り上げられるようになって少しずつそれが変わってきました。その頃、一番気になったのはデルタでしたね。

−−アムステルダムのアーティストですよね。

大北:そうです。“自分はそういうアートカルチャーものが好きなんだな”ってわかってからイギリスに行ったんですよ。知り合いがいたので、買い付けを兼ねてその人の家まで行かせてもらって。向こうのお店とかを回って、本とかを買って帰ってきたんですけど、それもまったく売れなかったです(笑)。

−−苦労話に事欠かないですね(笑)。でも、裏原は服だけじゃなくて、カルチャー的な側面や雑貨もすごくキーポイントになっていた気がしました。

大北:ですね。むしろ、僕自身が最初は「写真なんて買って何が面白いの? 絵なんて誰も買わないでしょ」って感じで服とかスニーカーを買って満足してた。だけど、当時原宿にいた人たちはもっと先を行っていたんです。(現オンブレニーニョ ディレクターの)YOPPIさんとか、ゼプテピをやってる(松倉)領とか。彼らヘクティクのクルーは特におしゃれでしたね。僕は上野のほうから出てきてファッション的にも偏ってたけど、あの人たちは何か肌で感じるというか、全然違いました。

−−どうしてもそういう部分は感じるときがありますよね。

大北:それでちょっとトラウマみたいなものがあったんですけど、このままだと本当に自分は残れないと思って、夜間のバンタンでグラフィック科に通い始めたんです。当時はまだグラフィックをやってる人もそこまで多くなくて、イベントもDJはいるけどVJはいないことが多かったから、これだ! と思って。そのあとはひたすらクラブに行きました。大バコよりも小バコに行って、そこで「フライヤー、つくらせてください!」って頼み込んで、自分でもイベントをやるようになったり。そうしてるうちに段々と、今もネイバー(フッド)にいる島(菜有)くんとか、ノーウェアの山之辺兄弟とかと「一緒にイベントやろうよ!」ってなってきて。自分が動くと人が動くんだなって、そのときに思いました。

「トミー・ゲレロとYOPPIさん、格好よかったなぁ」

ヴァイナルアーカイブ デザイナー 大北幸平

−−その頃の大北さんはメイド・イン・ワールドのお店でプラダを着たりもされてましたよね?

大北:あぁ、あれは西武池袋のおかげですね(笑)。当時プラダのリュックが流行ってたんですよ。で、僕もモノとしてのプラダに興味が湧いたんです。身近にはアメリカものが多かったから、ヨーロッパのDCブランドにも興味が出てきて。専門学校が池袋にあったから、そこでプラダのお店を覗いたりしてたんですね。そうしたらすごいハイゲージで薄めのニットがあって、当時確か6万円くらいかな? 高かったけど買ってきてみたら、やっぱりすごくよくて。自分の体型にも合ってたんですよ。肩とかはジャストだけど袖が長くて、丈は短いけど身幅は広いっていうバランスが。それに、あの品のよさとかネームの雰囲気も好きでした。こんな格好だけど、ニットはプラダっていうのはいいなって。

−−当時は今以上にカテゴライズしたがる風潮と派閥意識が強かったでしょうし、余計に新鮮だったんでしょうね。

大北:そうでしょうね。その頃は特に反骨心が強かったんです。今でも思うんですけど、好きなブランドがあったとしても、全身それを着ていて格好いいのかなって。やっぱり自分に合うものを取り入れるのがしっくり来る、でいいと思うんです。僕の場合はホームズがそうでした。自分の体に合ってたし、サイラスの中間色の使い方なんかに惹かれたりもしました。オープンカラーのシャツが好きだったなぁ。例えばトミー・ゲレロってアメリカ人のスケーターなんだけど、それとはまた違うノリでネルシャツを着てたりしたじゃないですか? ああいうのが好きなんです。YOPPIさんにもそういうイメージがあって、すごく格好よかった。ゲレロ、YOPPIさんを見て僕もマネする、みたいな。

「1シーズンに100型も生み出せるわけがない」

Vainl Archive

−−こうやって変遷を辿るとやっぱり面白いですね。

大北:でもそうやって変わっていったから、ストールをやってる頃は一番悩みました。僕は会社に属してる人間だったから売り上げを優先する頭も必要だし、そうするとリサーチや情報収集に頭が行ってしまい、それがどんどん増えてイイとこ取りをしようとした結果、よくわからないブランドに見えちゃったり。

−−それだけに、その頃のお知り合いの方々が今のヴァイナルアーカイブを見たら驚かれるんじゃないですか?

大北:僕は遠回りしながらコツコツいろんなものを吸収していくタイプで、とにかく雑食だったし、いろんなブランドを見ては「どうやったらこういうものがつくれるんだろう?」とか、「こういう工場にお願いするのがいいのか」とかって常に考えていて。そういう欲求が強かったんです。それを続けるうちに、突き詰めていく今の自分のスタイルになったんだと思います。

−−その結果、デザインはもちろん、品質へのこだわりも強まっているように感じます。ヴァイナルアーカイブは型数が多くはないから、余計に。

大北:今って、“洋服をつくる意味”みたいなものがより求められるというか、考える時期だと思うんです。世の中を見ていて、「こんなに洋服って要るのかな?」なんて感じちゃったりしますし、小さいブランドが出てきてはすぐ淘汰されたり、それに乗っかったよくわからない会社がインフルエンサーを使って何かやっていたり。ようやくそれも笑えるようにはなってきましたけど、そんな時代に自分のアウトプットで1シーズンに100型も服を生み出せるわけはないと思うんです。でも、それを毎年何回もやるためには、どこかからアイデアとかデザインをそのまま拾ってくるしかなくなってしまう。でも、そういうことですら、どんどん追いつかなくなってきてる。僕自身も、そうなったときはデザイナーとしての終わりなんだろうなと思ってます。

「“STREET KNOWLEDGE”の意味かぁ……(笑)」

ヴァイナルアーカイブ デザイナー 大北幸平

−−スタイルだけじゃなく、つくり手としての意識も明確になってきたんですね。今はアウトプットの場も多いでしょうし、充実されていても大変そうです。

大北:メイド・インにいたときは会社がお金を出してくれて、出荷から何からカバーしてくれてたけど、それを全部自分でやるようになって、本当はどういうものをつくりたいのか、とかって自分自身を掘るようになったんです。なるべくなら、他と同じようなことはしたくないし、ルックブックをつくることにも過度に反骨心がある時期もあったりで、「どうしよう、どうしよう」の繰り返しでしたね。でもそうやって少しずついろんなことが見えてきて、(写真家の小浪)次郎に出会って写真やアートに対しても自分がいいと思えるものをやることは間違いじゃないんだなと思えるようになって、自分を信じられるようになりました。

−−ずっとお伺いしたかったんですが、ヴァイナルアーカイブの服のタグに、“STREET KNOWLEDGE”というフレーズが入っていますよね。その意図をお聞きしてもいいですか?

大北:あまり考えていたわけじゃないんですが、“自分の生きてきた道程”みたいな意味で使っています。僕はファッションの学校を出てもいないし、夜間の専門だって知識や技術が身についているか定かではないです(笑)。自分が学んだことなんてたかが知れていて。でも、(それまでの蓄積が)自分が見てきたこと、いろんな人とやコトと繋がってきて、好きなものを今はそのままやれていて、それがストリートなのかもな、って。今はこれまでで一番活動の幅が広がっているし、ストリートどうこうすら気にしていないのが正直なところなんですけどね。でも、そのどれも“大北幸平としてやってること”じゃないといけないと思ってるし、そうじゃないと先輩方と向き合って話せる気がしない。きっと通ってきたところ全部がちょっとずつ、自分に肉付けしてくれてるんでしょうね。本当は「アメ横が僕にとってのストリートです!」って言えたら一番面白いんでしょうけど(笑)。数の子売ってたの、懐かしいなぁ。


【recommend item①】
Harrington jacket

Vainl Archive ヴァイナルアーカイブ Harrington jacket KEVIN

モードに着られる
ゆったりシルエット

アームや身頃にゆとりを持たせたハリントンタイプのジャケット“KEVIN”は、シェルにテキスタイルメーカーの第一織物が開発した機能素材、ディクロスを採用した1着。高密度でハリと柔らかさを併せ持つ生地が、美しいドレープやアウトラインを描くようにデザインされている。4万5000円(エルエムエイチ)

recommend style

Vainl Archive ヴァイナルアーカイブ Harrington jacket KEVIN

ダークトーンでも
表情豊かな素材と形

体と服の間に少し空気を含んだシルエットはヴァイナルアーカイブの御家芸。現代的なリラックス感も漂わせつつ、素材のコントラストで上品さも添えたコーディネイト。パンツはテーパードでももちろん良いが、ストンと落ちるゆるめのストレートのスラックスだと、さらにモダンに見えてくる。

ヴァイナルアーカイブのブルゾン4万5000円、同パンツ3万円(以上、エルエムエイチ) パラブーツの靴6万5000円(パラブーツ 青山店) レトロスーパーフューチャーの眼鏡2万6000円。(ブリンク ベース)


【recommend item②】
Award Jacket

Vainl Archive ヴァイナルアーカイブ Award Jacket

カジュアル育ちの大人こそ
袖を通すべき

やはり横幅広めのパターンで仕立てられた、セットインスリーブのアワードジャケット。ボディはオリジナルのチェック柄メルトンで、ウール素材ながらアルパカやカシミヤ混のようななめらかさが実感できて、着ると柔らかくて暖かい。カジュアルを洗練させたら?という問いの模範解答的アイテム。8万8000円(エルエムエイチ)


【recommend item③】
WOOL SLACKS

Vainl Archive ヴァイナルアーカイブ WOOL SLACKS

今季のボトムス、
形はこれが大本命

今また新鮮な、太めのストレートシルエットのスラックス。細かい毛羽が立ったウール製の1本は、クラシックな品格をしっかり漂わせつつ、野暮ったさがないのが魅力だ。しっかりとクリースの入る正統派なので、愛用の靴に合わせてキレイに裾上げして穿くのが正解。3万円(エルエムエイチ)

recommend style

Vainl Archive ヴァイナルアーカイブ WOOL SLACKS

レトロなバランスでも
カントリー感とは無縁

スタジャンにスラックスという力の抜けたダッドスタイルも、ブラウン基調でまとめると一転して都会的な着こなしに。ジャケットのゆとりを活かしつつ、インナーはタックインしてメリハリを。悪目立ちしない色柄選びも、こなれ感多めで大人っぽさを強めてくれる。

ヴァイナルアーカイブのブルゾン8万8000円、同パンツ3万円(以上、エルエムエイチ) ジョン スメドレーのニットT2万6000円(リーミルズ エージェンシー) スーパー バイ レトロスーパーフューチャーの眼鏡2万6000円(ブリンク ベース) ヴァンズの靴7000円(ABCマート)


【ヴァイナルアーカイブ商品のお問い合わせ先】
エルエムエイチ https://vainlarchive.tumblr.com

【コーディネート商品のお問い合わせ先】
ABCマート TEL.03-3476-5448
パラブーツ 青山店 TEL.03-5766-6688
ブリンク ベース TEL.03-3401-2835
リーミルズ エージェンシー TEL.03-5784-1238


写真/宮前一喜(取材) 若林武志(モデル・商品) 文/今野 壘 スタイリング/鈴木 肇

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