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THEのTHE 醤油差し

「クチバシが付いていない醤油差しを作ってほしい」というTHEからの前代未聞の注文に、思うように製作が進まなかった北洋硝子、工場長の中川氏。そのような状況に一度は諦め、現場の職人たちに製作中止の提案をします。前半では、その提案を受け職人たちの熱い要望で再度その製作に取り掛かるところまでをご紹介しました。

それならばと、我々は中川さんに情熱をぶつけた職人、成田さんと小笠原さんの両名にインタビューを敢行。両名ともに、現在も変わらずTHEの醤油差しの生産に携わっています。インタビューでは、お二人から伺ったその時の心境に加え、どのようにして完成まで漕ぎ着けたのか、ご自身が担当されているポジションの説明と一緒にお伺いできました。今回は醤油差し作りのエピソードはもちろん、中川氏をはじめ、職人さんたちのプロフェッショナルな姿勢にも是非ご注目ください!

クチバシのない醤油差しのビギニン[前編]【ビギニン#02】はこちら

今回のビギニン

北洋硝子 工場長 中川洋之 氏
北洋硝子 工場長 中川洋之 氏

約35年前、北洋硝子に入社。色の調合や硝子の溶融からキャリアをスタートし、2012年にはその高い技術力が青森県から認められ、製造業の振興、技術の継承、人材育成を通じてものつくりの基盤技術を支える優れた技術者である“あおもりマイスター”に認定される。現在は同社の工場長として現場を取り仕切る。趣味の釣りでは7年越しの思いが叶い、先日見事マグロを釣り上げたんだそう。

struggle:
試行錯誤、微調整を繰り返す日々

もともとは“THE醤油差し”の生産に用いられる、圧迫成型の技術を持っていなかった同社。圧迫成型を取り入れるキッカケとなったのは、ある大阪の硝子工場の廃業でした。その工場と日頃からお付き合いのあった北洋硝子。廃業の知らせを聞き、当時そこで働いていた職人さんに圧迫成型の教授を仰ぎます。その習得に要した歳月はおよそ5年。そして、既存の商品よりもさらに上回るクオリティーを持つ製品が出来上がるようになったと実感できたのは、そこからさらに2年後のこと。「ようやく圧迫成型をモノにできたと思っていた、そんな折にTHEの話が舞い込んできたんです」と中川さんは当時を振り返ります。

まずお話を伺ったのが、同社が圧迫成型に取り組み始めた年に入社し、その技術の発展に貢献した職人、成田拓司さん。現在はTHEの醤油差し作りを担当しているチームのリーダーを任されています。ご本人は「そんな風に言っちゃうと(照)」と謙遜されていましたが、その技術と仕事の正確さは「日本一」と中川さんも太鼓判。製作過程を語るうえで外せない、硝子素地の巻き手を担います。

北洋硝子 職人 成田拓司 氏
職人 成田拓司 氏

昭和60年生まれ青森市出身。2006年10月、北洋硝子株式会社に入社後、現在は生産グループ・圧迫チームのリーダーとして従事している。

「何が難しいのかというと、(蓋にクチバシがないことよりも)彫刻や柄のまったくない無地なので、あらが目立ちやすいっていうのが一番。それにワン型(流線型の器)は、成型時エアーを入れるときに広がる率が一定じゃなく硝子の厚みに差が出やすいことですね。底もフラットにするのが難しく、最初は全然ダメでした」と、THE醤油差しを作り始めた段階で、製作チームトップの実力を持つ成田さんでもその難しさに一度は頭を抱えたそう。しかしチャレンジするうちに「できる」と実感。

「やるなら最後までやりたい、途中で投げ出すっていうのはちょっと嫌だなという気持ちでした。」

と着ていたシャツの袖をまくり直す成田さんからは、職人歴14年の風格が漂っていました。

硝子素地の巻き取りについて

圧迫成型の中でも一番難易度の高いポジションとされる“巻き取り”。ここで素地に少しでも空気が入ってしまうと、製品に気泡ができてしまうのです。成田さんは一定のリズムで硝子を巻き取れるよう、いつも無心でその作業を行なっているのだとか。ちなみに、THEの醤油差しの硝子素地はその調合レシピを4回変更。初めに使っていた素地は、るつぼ(炉内に設置された硝子素地を溶かすための入れ物)から取り出してから固まり始めるまでの時間が短く、繊細な成型を行うには向いていませんでした。そこで約1秒だった凝固までの時間を、1.5秒に成型がしやすいよう延長。たった0.5秒熱持ちを長くした結果、生産性を高める足がかりとなりました。

「THE 醤油差し」の形作りの基本となる、金型の製作及びメンテナンス業務を担当する職人の小笠原貴司さんにも、その経緯を質問。すると回答は成田さんと同じ。「ひどいって思いましたね。簡単な要素が全くない(苦笑)」とおどけた口調で答えた後に、「ただ、だからこそやってみたかった」。挑戦への動機を真剣な面持ちで話してくれました。

北洋硝子 職人 小笠原貴司 氏
職人 小笠原貴司 氏

昭和63年生まれ青森市出身。2008年5月、北洋硝子株式会社に入社後、現在は生産グループ・圧迫チームのチーフとして従事している。

「金型がどこまで製品の形に近づけるかで、出来上がりの良し悪しが決まると思っている」。

職人としてのプライドを感じる言葉を、何の衒いもなく我々に投げてくれたこの小笠原さんこそが、中川さんから製作中止の提案を受け、「THE 醤油差し」作りにチャレンジすることを最も強く訴えた人物です。中川さんは、その頃を懐かしむように小笠原さんの様子を話します。「ボーナスが出なくてもやらせてほしい!と言ってきたんです(笑)」。

しかしその意気込みとは裏腹に、なかなか思うように金型の製作は進みませんでした。「参考になりそうなアーカイブの図面を取り出しては、何度も金型を作りました。でも一つ上手くいくと、別のところが今度は上手くいかなくなる。もう作れないんじゃないかと思いました。」まさに一進一退の状況。数えきれないほどの失敗と試作を繰り返し、何度も“諦めたい”と思ったそうです。

完成したのがこの金型

これが小笠原さんの血と汗の結晶、THE醤油差し本体と蓋部分の金型。作成中はノンストップで酷使するため金型の形状は微妙に変化、使用するたびに毎回調整が必要です。またガラスの被膜が内側にできるため、使用後は必ず拭き取ることが必須、被膜は製品の透明度を下げる原因になります。丁寧なメンテナンスが美しい醤油差し作りを支えていることを実感させられました。

reach:
完成した今でも、作業日の打ち合わせは長い

THEのTHE 醤油差し

職人たちの執念と努力により、2014年見事に商品化が実現。5時間で800個以上(通常の醤油差しの生産量はそれの倍)という生産目標も達成することができました。ただし先述した中でも想像できる通り、職人泣かせの要望が詰まったこの醤油差し、製作するにはかなりの技術が求められます。圧迫成型を熟知している成田さんでさえ、「THE 醤油差し」の製造前日の夜には緊張してしまうと、我々に打ち明けてくれました。「シンプルなデザインだからこそ、アラが目立ちやすく難しいから、前日の夜から緊張しますね。当日の朝は通常より30分早く出社、それなのに30分遅く退社します(笑)」。

発売から6年経った今でも、作業当日の朝のミーティングは必ず行い、他の商品のそれよりも長いとか。前回の製作過程を見つめ直し改善点を洗い出し、その質と生産性を高めるためのブラッシュアップを続けています。「変な話、普通の醤油差しは目を瞑っても作れるけど、THEの醤油差しは絶対無理。」冗談交じりにそう話す成田さんの発言からも、製作するために途轍もない集中力が必要であることがわかります。

底のロゴは新たに導入したレーザーで

ロゴはレーザーで底部分に刻まれる。そしてその作業を行うために増設された小部屋が存在。入り口の上方に設置されている、津軽びいどろならではの色使いが美しい小窓は、中川さんの渾身の作品。かの有名な「星野リゾート 青森屋」の「元湯」にも同じものが使用されているという。

ロゴフォントも王道

補足するとTHEのロゴには、プロのデザイナーなら誰でも知っている「トラジャン」というフォントが採用されています。ローマ帝国の五賢帝“トラヤヌス帝”の時代の石碑に刻まれていた文字が元となっている書体で、現存する数多の書体デザインのモチーフにもなっているという、まさにフォント界の王道。徹底的にど定番を追求するTHEのコンセプトがロゴにも反映されています。

試作中はどんな気持ちだった? 期間は?

北洋硝子 工場長 中川洋之 氏

中川さんをはじめ職人さんたちの大変な努力を持って完成させられているこの醤油差し。THEから企画が持ち込まれ、発売に至るまでおよそ2年。しかし、同社が圧迫成型の技術を習得するところから換算すると、およそ8年もの歳月を要しています。「本当に細かい技術が詰まった商品ですね」と感慨深く醤油差しを見つめる成田さんの様子に、“作る”だけでなく“生産性を確保する”まで本当に苦労されたのだなと、つくづく感じました。

難航した蓋部分のすり合わせ作業も“THE”専用の固定台を開発したことで解決へと前進。「これは企業秘密ですから、お見せするのは一瞬ですよ(笑)」と茶目っ気たっぷりに中川さんはガンガン見せてくれました。ようやく液垂れをしないための角度や深さを導き出せたときには半年の時間が経過していたと、汗をTシャツの袖で拭きながら、まるで何事もなかったかのように笑います。

度重なる失敗に何度も作ることを諦めかけた試作期間中、そのモチベーションを保っていたものはなんだったのか。この取材を通し、そんな疑問が自然と生まれます。そこで是非にと小笠原さんにその問いをぶつけてみました。「プライドですかね」と一言。少し間をおいて「THE 醤油差し」を手に取りながら、さらに続けられました。「我が子を送り出すような気持ちです(照)」。小笠原さんのこの言葉が、今でも心に残っています。

そして、忘れてはならないことが一つ。「THE 醤油差し」が誕生するに至ったのも、現場の声を受け入れ、職人たちを信じることを選んだ中川さんの懐の深さがあったからにほかなりません。

「北洋硝子の製品のいいところは、すべての製品がキチンと正確な形をしていること。手作りだからって、妥協はしません」。

THEのTHE 醤油差し

そんなこだわりを持つ工場長の元だからこそ、職人さんたちのモチベーションは高く保たれるのでしょう。

「俺は半分ダメだと思っていたけど、職人のみんなはたぶん8割方はいけると思っていたんじゃないかな。(THEの話が届いた当時は)儲けも多くない時代でしたが、ほかで俺たちが赤字解消しますからって」。そんな風に笑いながら話す中川さんの表情はどこか誇らしげでした。

最後に少々穿った見方になりますが、このTHE醤油差し、醤油差しなのにしっかりとした桐箱に入って販売されています。実は、取材前からこの醤油差しを使用していた筆者。高級感があってギフトにはいいけど、普段使いのために買うとなると、ちょ〜っと大袈裟な気もするな(笑)なんて思っておりました。今回の取材を通して、“桐箱に入って販売されている”というその意味が、腑に落ちた次第です。

余談ですが、当日、中川さんをはじめ職人さんたちの情熱とその技術を目の当たりにし我々は大感動。工場の1Fに隣接する商品直営ショップで、食器に風鈴、花瓶などをまるで金型に流し込まれる硝子の素地がごとく、各々す〜っとお会計レジへ持っていくのでした(笑)。

THEのTHE 醤油差し

THEのTHE 醤油差し
美しく、かつ絶対に液だれしない醤油差し。全てのパーツには、ガラスの中でも特に透明度の高い「クリスタルガラス」を使用している。実容量は、鮮度が落ちないうちに使い切ることができる80mlに設定。底が厚く、倒れにくい設計になっているのも◎。Φ(底部)47×H113mm。3500円。(デザイン:PRODUCT DESIGN CENTER)

(問)
THE SHOP SHIBUYA ☎ 03-6452-6221
THE 公式サイト https://the-web.co.jp

※表示価格は税抜き


写真/宮前一喜 文/妹尾龍都

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