e-Begin世代にとって、「ストリート」がファッションの原体験という人は少なくないんじゃないでしょうか。ただそこから先、どっぷり浸かるか横目で眺めるか、はたまた無視するか、向き合い方は人それぞれのはず。きっと、「子どもっぽい」とか「流行りものでしょ」とかネガティブな見方もあったでしょう。でも今やルイ・ヴィトンがNIGO氏と、ディオールがショーン・ステューシー氏と協業する時代。きっと、大人には大人のストリートとの向き合い方があるはずです。意固地にならず、肩肘張らず、無垢にファッションを楽しんでいた頃を思い出して、あの頃好きだった(気になってた?)ストリートな服を今また着てみるのもアリ、いや大アリ!と思うのです。

ストリート世代のファッション“今昔モノ語り”鼎談(前編)
ビームス土井地博×ノンネイティブ藤井隆行×スタイリスト髙橋ラムダ

いくつになっても、男子にとってストリートという言葉は特別な魅力を感じるもの。ことファッションにおいて、その存在感がますます強まっている昨今、大人がそれと友好的に付き合っていくにはどうすべきか? あらゆるスタイルや洋服に触れてきた、旧知の洒落者3人がそんなテーマでお送りする大放談。(ストリートから)一度離れていたカムバック組も、これからトライしたいビギナーも、きっとヒントが見つかるはず。前編では、3人の出会った頃を振り返りつつ、当時隆盛を極めた“裏原”についての証言も……。

【鼎談メンバー①】
ビームス 執行役員 コミュニケーションディレクター
土井地 博さん

ビームス入社後、大阪でショップスタッフとして勤務、23歳にてプレス就任を機に上京。現在は同社の宣伝 販促を統括し、さまざまな企画を世に送り出している。自身がナビゲーターを務めるBEAMS TOKYO CULTURE STORY THE RADIOもお見逃し(聴き逃し?)なく。

【鼎談メンバー②】
ノンネイティブ デザイナー
藤井隆行さん

武蔵野美術大学を中退後、ショップスタッフなどを経て、盟友・サーフェン智が立ち上げたノンネイティブに2001年からデザイナーとして参加。この秋冬もコラボレーションの発表が多数控えているとのことなので、乞うご期待。

【鼎談メンバー③】
スタイリスト
髙橋ラムダさん

編集者やヴィンテージウェアのバイイングを経験した後、スタイリスト白山春久氏に師事。32歳で独立し、現在は自身のブランド、R.M.ギャングにてデザインも行っている。本人の解説付きでスタイリングを披露するYouTubeチャンネルも必見。
www.youtube.com/channel/UCKNq41Scbrfpl6CLrbJABWg/featured

−−鼎談にあたって、まずこのお三方の関係性がわからない人も多いと思うので、ご説明お願いできますか?

土井地さん(以下 敬称略):全員、元々ビームスで働いていたんですよ。僕は今もですけど。みんな同い年で。

藤井さん(以下 敬称略):初めて会ったのは’97、’98年くらいだっけ? ヴィンテージデニムとかが一回落ち着いた時期だったよね。

髙橋さん(以下 敬称略):隆行と俺が当時のビームス ジャパンで働いてて。新宿の。土井地はまだその頃は大阪の店舗だったね。

土井地:うん。同時期に違う店舗にいて。だから、当時の会話は『Boon』の誌面ですよ。この二人を見て、会ったことないんだけど何度も会ってるような気持ちになってたし、今みたいにSNSとかで繋がってるわけでもないけど、「あ、ちょっとスタイル変わったな」、とか一方的に知ってる感じ(笑)。今でも、だいたいこのページのこのへんに出てたな……ってのは覚えてます。

−−実際に出会う以前から、お互い認識されてたんですね。

土井地:そうですね。今の時代にも通じると思うけど、66のリーバイスにヴィトンのベルトを合わせるとか、シャワーサンダルをオシャレで取り入れるとか、ハイブランドに古着を交ぜるとか、そういうのが東京組のラムダ、隆行たちはとにかく早かったよね。僕らはそれに憧れてました。「こういう合わせ方もあるんだ」って。

髙橋:隆行はエルメスのターボとか、早くから履いてたよね。どうやって買ってんだよ!? ってくらい。リボ払い(笑)

藤井:リボ払い(笑)。リボだらけだったよ。酷かったもんね、当時は。「欲しいもの、全部買いたい」みたいな。

土井地:俺とか隆行は常に限度額いっぱいまで使ってたね。25年くらい前はそういう時代だった(笑)。

藤井:その点、ラムダは堅実だったよね。意外とお金の使い方が丁寧で。

髙橋:そうだっけ? 当時はJDスポーツとか、イギリス、ヨーロッパものの別注とかが面白かったタイミングだったよね。

藤井:そうそう。海外で買ってきたものが偉い、みたいな。スニーカーだったらナイキだけじゃなくて、アディダスとかも多かったよね。ニューバランスはなんか、今と違っておじさんっぽい感じ。俺らはビームス ジャパンの上がギャラリー(インターナショナルギャラリー ビームス)だったから、毎日見れて面白かった。ニール バレットとか、サムソナイトとか。

髙橋:マンダリナダックのね。

土井地:懐かしい(笑)。マンダリナダック。

−−バイヤーがお店に立ってるようなものですもんね。

藤井:新宿で言えば伊勢丹も変わり始めてて、ジュンヤとか休憩時間に買いに行ってたな。

髙橋:俺ら、それこそ昼休憩に原宿までスニーカー買いに行ったりしてたもんね、バイクで(笑)。

藤井:ビームスで売ってる商品なら社販で買えるのに、社外のものに金使いまくってたね。

髙橋:オリ(オリジナル)のチノパンくらいだったね、買ってたの。当時は(アディダスの)ZX 8000とか履いてた記憶がある。

藤井:あの頃社販で買ったコンバースはまだ持ってるよ。普通にアメリカ製だった!

土井地:今季、ちょうどビームスで別注をやってるから持ってきたんだけど、シューズで言えばこれとかは二人とも当時は思い入れが強かったと思う。パドモア(アンドバーンズ)の。クラークス、ビルケン、レッド・ウィングとかのブーツ系も。

藤井:だね。クラークス、先輩たちのトラッドっぽい履き方は俺らの世代はあんまりしなかったよね。

髙橋:うん。俺はデザートブーツ派だったな。

土井地:今はまた変わっちゃったけど、実際に足を運んでものを探して、気に入って使って、それを伝えるっていうのが当時はショップスタッフがやってたっていうのが説得力あったよね。

藤井:ほとんど私物だけどね(笑)。今じゃありえない。うちのお店の子たちには言えない(笑)。

土井地:ひたすら買ってたけど、当時は転売とかって意識なかったもんね。

藤井:うん。失敗したものが半分くらいの値段で売れたら、また新しく何かを買うみたいな。基本損するもので、勝手に授業料だと自分を納得させてた(笑)。

髙橋:それに比べると、今の時代はものを買うのも投資みたいなところがちょっとあるよね。

土井地:それが邪魔してる感はある。欲しいものと高く売れるものを秤にかけて、もしかしたら高く売れるものに手が出ちゃうことが増えたんだろうな。

−−そう考えると、いろんな意味で当時はいい時代でしたね。

藤井:明確に“これが格好いい!”ってみんなが追いかけるようなスタイルもまだそれほどなかったんだよね。特にその頃はアメリカものがちょっと元気ない時期だったから。それで、裏原が盛りあがるようになってきた。俺らは全然接点なかったけど。

土井地:共通項がなかったのかな?

藤井:こっちは洋服オタクで、あっちって言うか、原宿系の人たちの周りには芸能人やモデルの女子がいっぱいいて。

土井地:モテるほうとモテないほうだったよね、完全に(笑)。

髙橋:(笑)。

藤井:裏原、モテてるなぁ。いいなぁ……って(笑)。なんか、遊ぶクラブとかも違ってて、イベントとかも全然違う感じ。

土井地:明らかに男子校の中でも違ったよね。男同士でばっか遊んでるヤツと、私立の女子校と仲いいヤツみたいな(笑)。

藤井:ソフが出てきたくらいからかなぁ、僕らも取り入れられるようなものが出てきたなって。ビームスの先輩たちがソフの清永さんと同世代で、上手にミックスしてた。でも、僕らもほんとしょうもなくて、デザイナーでもないのに原宿系の服を馬鹿にしてたとこあったよね。「裏原の服とか、どうせ縫製悪いんでしょ」みたいなダサイ対抗意識で(笑)。

土井地:謎だよね(笑)。

藤井:本当にダサい(笑)。でも、それこそパドモアとシュプリームがコラボしたのと、ネペンテスがパドモアとやったのが同じくらいだったんだよね。やっぱりシュプリームはちょっと違ったよね、当時から。

髙橋:俺的にはラルフ ローレン的な解釈だったけどね、シュプリーム。アメリカのオーセンティックウェアの中に、程よくスケートカルチャーが入ってる感じ。プリントTシャツ以外を見ると、意外とベーシックなダウンだったり、気の利いたレーヨンシャツとかつくってたり。ワークパンツとかも。

−−当時のムードと皆さんの視点が見えてきましたね(笑)。その後、お二人はビームスから巣立っていくわけですよね?

髙橋:ですね。2年ちょっといたんだっけ?

藤井:1年半くらいだよ(笑)。そこから、ラムダは雑誌の編集とか、いろいろやって最終的にスタイリストになって、俺はワングラム(現シュプリームジャパン)に行ってサイラスで働くんですけど、実はその間に、俺とラムダは商社で働いてた時期を挟んでて。そこの社長さんがすごく俺らを可愛がってくれて、しょっちゅう海外に連れてってくれたんです。

土井地:二人が無双だったのは、知識とセンスがあるのはもちろんだけど、ラムダは編集とか服づくりとか、隆行はワングラムだとか、それまでに見てなかった部分を経験してるところ。すごい勉強になったし、らしさが着こなしにちゃんと落とし込まれてて、見てて面白かったな。

−−微笑ましいですね。でも、藤井さんとしては接点のなかったストリートウェアの世界に急に入って、勝手がだいぶ変わったんじゃないですか?

藤井:当時ビームスで学んだことが、何も通じなかったです。むしろウザがられてましたね(笑)。「このアイテムの縫製は……」とか、そんなことよりもっと音楽や、スケートや、インテリアなどライフスタイル全体を見てる人たちばかりだったから、自分には足りないものだらけだった。でも今考えるとそもそも、ビームスは元来そういうカルチャーとしてのファッションの先駆者だったわけで。僕は服ばかり見ていたと。

土井地:毛色は違っただろうね(笑)。

藤井:でも、後で聞いたら当時の上司もビビってたらしくて(笑)。「やたらと服に詳しいヤツが入ってきた……」って。俺はビームス時代の友人たちもたくさん連れてきてたし、当時は売れるサイズがLとかXLばっかりだったんだけど、俺はSを完売させたりしてたから。昔よく、上が小さめで下が大きいっていうスタイルを提案してたんだけど、お客さんも“サイラスはこのバランスだよね、ロンドンだよね”とかなったりして。で、またウザがられるっていう。

髙橋&土井地:(笑)。

−−世の中的には、裏原人気がピークのタイミングでしたから、異端への動揺も大きかったんでしょうね。

藤井:当時はモーティブとかが出てきてバカ売れしてた頃でしたね。たくさんブランドがありました。

土井地:ラムダはその頃もいろいろやってたよね。

髙橋:俺は何が自分にフィットするか、探してた頃だね。雑誌読んでても、外部から見た偶像の東京みたいのばっかで、リアルじゃねぇな……こんな格好で街歩かねぇよ、って。そこから自分たちでお店やったりして。ただ、ものづくりをしたいって感覚はずっとあった。で、つくるものが服なのか、ビジュアルなのかスタイルなのかって考えたとき、スタイリストが自分には向いてるのかなと思って。

藤井:普通は師匠にアシスタントとしてついて、スタイリストしかやらずに独立するほうが多いけど、ラムダの場合はいろいろ経験したうえで白山(春久)さんに弟子入りしたから、それがよかったんだろうね。個人的に、アンユーズドのイメージの基礎をつくったのがラムダだと思うんだけど、それがすごいなと思ってる。

−−アンユーズドはコレクションブランドですけど、実際にストリートの高感度な人たちからの支持もかなり大きいですよね。

髙橋:あれ、最初の3〜4シーズンは俺の名前を伏せてたんだよね。独立した直後の仕事だったから。でも、アンユーズドのデザイナーも関西出身で、それこそ『Boon』とかで俺のこと、見ててくれたらしくて。それで、やってるうちに先輩のスタイリストとかからもいろいろ連絡とか問い合わせが来るようになってきたらしくて、「そろそろ名前出さないとヤバいよね。ラムちゃん、言ってもいい?(笑)」って言われて。

藤井:そんな経緯だったんだ(笑)。※後編へつづく(8月21日公開予定です)


写真/若林武志 文/今野 壘

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